世界との差を痛感しつつある霞ヶ関官僚たち
シンガポールで日本の公務員制度改革を議論
多くの国民が日本最高の頭脳と信じ、政治家もメディアも不満は漏らすが、日本最大のシンクタンクとあてにしている日本の霞ヶ関官僚。しかし、彼ら自身は国際舞台で他国の官僚たちと彼我の差を見せつけられて自信をなくしている。高度成長時代は欧米に政策立案のモデルがあったが、グローバル化、テクノロジーの進化、高齢化等の変化が史上最大のスケールとスピードで進む現在、霞が関官僚たちは、率直に言えば、何をやればいいのかわからなくなっている。
そして、世界の官僚たちが自分たちの国に有利なゲームになるように世界に仲間造りをしている時に、霞が関官僚たちはネットワーキングの機会さえ失っている。
その背景には政治と政府の無作為があると思う。公務員制度改革と言えば、官僚バッシングと同義語であるが、その裏には政治家が官僚とつぶし合いをしていても日本は大丈夫とのおごりがあったのだと思う。しかし、ここにきて、政治家も官僚も連携して自らをレベルアップしないと日本のために有効な政策を作り実施することができなくなってきている。今回は日本官僚を取り巻く世界での現状とやるべき改革についてシンガポールからの提言第一弾として記してみる。
シンガポールに引っ越して最初の仕事が大仕事であった。衆議院の内閣委員会の幹部(委員長および理事)を当校(国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院)に迎えたのだ。委員長は、私が当選した直後の補選で自民党初の公募で当選して、外務政務官、総務副大臣をつとめ、現内閣委員長である柴山昌彦衆院議員である。
世界の官僚は継続的トレーニングを欠かさない
当校(リークワンユー公共政策大学院)に来られた目的は所管である公務員制度改革について議論するためである。当校はASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国を中心にインドや中国、アフリカ諸国を含めて世界中の幹部官僚の研修を手掛けている大学院で、今年が開校10周年。今までに世界80カ国で1万1千人以上の官僚、NGOリーダー、大企業に人材研修を施している。アジア版ケネディスクールといわれるゆえんである。
当校に赴任して感じるのは、世界の政府職員は継続的なトレーニングを受けているということだ。課長になっても、局長審議官クラスになっても、国によっては次官になっても、ここでトレーニングを受けている。ところが、霞が関はどうだろう。ご存じのようにジュニア(若手)の課長補佐時代に、二年間の留学をして、基本的にそれ以降は体系だった研修はない。官僚たちに言わせると「二年間の留学も研修とは思われていません。こき使い過ぎたら少し骨休めしてこい!との意図を強く感じます」という。
衆院内閣委員会の幹部である政治家の皆さんには私と実務者研修担当の副学長ドナルド・ロー氏で継続的研修の必要性を訴えた。
キャッチアップすべき欧米に答えがあった時代と違い、グローバル化、テクノロジーの進化、気候変動、高齢化等の今まで人類が経験してこなかった変化の中で国民の生命財産を守り育てるために日夜政策や予算を造り続けることは日本政府がいまだかって経験してこなかったことである。加えて、アメリカの外交力の低下と中国の台頭でアジアのパワーバランスはこれからも大きく揺れ動くと予想され、それが安全保障から経済まで少なからず影響を与える。
国際的な政策競争に勝てない霞が関
こういう変化はグローバル化の中でテクノロジーが一気に進むなど、一つ一つの変化が重なり、政策課題が複雑化していく。一つ一つの政策課題の本質を理解し、正しい対策を出すには幅広い知的基盤が必要になり、どこの国の政府職員でも「一生勉強」が必然になっているのだ。ここシンガポールでは、ちなみに、どの職階にある官僚にも年間最低100時間の研修が義務付けられている。
答えがない中で、国際的な「政策競争」は激化していく。簡単にいえば、人材と資金を自国にひき付けるための競争のことだ。日本も東京を特区に指定してその競争に参画するつもりだろうが、建国以来半世紀を人材&資金引き付けに特化してきたシンガポールや移民国家アメリカとの競争は楽ではない。世界的な政策競争に勝つには、国際舞台で他国の同業者に負けない力量が求められる。
官僚の国際的ネットワーキングも重要になってきている。国際的な「政策協調」や「世論形成」の必要性は増す一方だ。エネルギー・環境問題など国をまたがって連携すべき政治経済イシューが増加している。またTPPや領土問題や歴史認識や国連常任理事国入り等、各国政府は自国に有利な国際世論&ルール設定に向け、「仲間作り」に余念がない。海外主要国における世論形成の成否が、日本のプレゼンスに大きく影響するのだが、日本の影響力は弱いままだ。日本では中国・韓国の世界での動きでは「世界から嫌われている」との報道が多い印象を持つが、確かにそういう面もあるが、中韓は欧米を味方につけるため、戦略的な世論形成に余念がなく、一定の成果を上げているとの見方もある。
国家の競争力は、「政府の能力=国家公務員の能力」で決まるのだ。政府に求められる力は、前述のごとく以下の二つだと思う。
①激変の時代に魅力的な社会システムを「デザイン・実行する」能力
②自国の価値・主張を効果的に発信し「他国を巻き込みリード」する能力
そのため世界各国の政府は、
①政策大競争でしのぎを削り、
②世界のルールを決める場での仲間作りに余念がなく、自国の価値の発信にあらゆる手段を用いる
ため、官僚の継続的能力開発に対して相当な規模での人材育成投資を継続している。その事例を当校では日常的に目の当たりにしている。
そんな中、日本は、官僚から世界の政策競争に勝ち抜く能力を磨く余裕を奪い、磨耗させている。「公務員制度改革」といえば「公務員叩き」ばかりで公務員のモチベーションは下がり、いい人材も投資銀行や渉外弁護士のような民間に逃げてしまう。せっかく入ったいい人材も、一年中に国会に拘束され、質問と答弁の準備のための深夜までの残業で「磨耗」するばかりだ。前述のごとく官僚の能力開発は30代前半の課長補佐時で終了し、管理職になって以降、能力開発が十分に施されない。
そうした中で、霞が関官僚は、国際的な政策競争の中で、彼我の実力差を痛感している。できるだけ責任を取らずもめ事を避けるために、「そもそもあいまいな日本語の中でもさらにあいまいな表現を多用しており、議論が英語になった時に外国人にも通じるロジックが弱い。」(某A官庁中堅幹部)例えば「日本経済は力強い動きを見せている」とかよくある霞ヶ関分析で使われるが、「力強い」の意味も曖昧だし、「動き」も増えているのか減っているか右か左か何とでもとれる。
世界での仲間づくりもままならない
「プレゼンテーションも中韓含め新興国にも負けている。」(某B官庁中堅幹部)我流で鍛え、個人として戦えている官僚もいるが、プレゼンこそトレーニングよって印象を大きく変えられるので、組織的なトレーニングを受けていないと政府全体レベルでの出来は厳しい。トレーニングを受けていると出てくる自信が、プレゼン以外の立ち振る舞いのレベルを規定するのだが、そういう意味で日本の官僚は立ち居振る舞いに自信がなさそう。
それが国際会議の前後で開かれるカクテルパーティー等の場で現れてしまう。本来なら仲間づくりの絶好の機会だ。自信がないから、懇親の場でのコミュニケーションに消極的となるし、ここでもトレーニングを受けていれば、他国の同業者の関心を引くトピックやうならせるジョークを持ち合わせることができるのだが・・・。シェークスピアの一節を挟みながらシニカルなジョークを英語でちらりと披露できる人材は、中韓は大量に生産しているが、組織的にトレーニングしていない日本では個人の力量に頼るしかない。「世界のエリートの必読書を読むことから始めないといけないが、日本の官僚にはそんな時間がない。」(某C官庁中堅幹部)
国内業務に従事する官僚も、政策立案の現場の急速な複雑化、多様化の中でインプット不足に悩んでいる。「声の大きな学者が言っていることが正しいとは思えないが、自転車操業的に日々暮らしているので、有効な反論材料を持ち合わせず、問題の裏返しのような政策になってしまう」某D官庁中堅幹部。「日本にとって何が優先度の高い政策なのかを考える知識や時間がないまま、自分の所管行政の庭先だけきれいにしようとしてしまう。」(某A官庁中堅幹部)「人口減少に対応して医療福祉政策、国土政策、地域産業政策の統合化が必要なのに、自分の分野以外の知識がなく(人口減少下の医療福祉政策には国土、地域の視点が欠かせないのに医療福祉政策の当事者にそうした知識はない)、違った行政分野からアプローチする視点を欠いてしまう」(某C官庁幹部)「産業構造や企業行動が激変した今日でも、政策の出来上がりとしては伝統的な補助、税制、金融、規制緩和等の手段の域を出ないものになってしまっているが、インプットを増やして、政策のレパートリーを増やしたい。」(某B官庁中堅幹部)
霞ヶ関官僚の多くが口を揃えて主張するのは、「意欲的な官僚は独自に勉強するが「我流」になりがち。官庁の幹部は、能力開発は個人の課題と考える傾向が強く、研修を軽視している」ということ。「我流」ではなく、国家として、組織的かつ継続的な取り組みが必要だと思われる。
次回は「日本政府レベルアップのために何が必要なのか?」について私が議員の皆さんに訴えたことについて述べてみたい。
日経ビジネスオンライン連載コラムから転載
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140731/269504/