石破幹事長VS安倍首相―真逆の安全保障観―(下)

站谷 幸一

石破幹事長VS安倍首相―真逆の安全保障観―(上)」の続きです。


4.真逆のブレーン:異論を含む自衛隊OB VS 異論なき外務省OB
石破氏のブレーンは自衛隊OBが目立つ。古庄幸一元海幕長、共著を出した森本敏元防衛大臣等は好例だろう。

また石破氏のブレーンは百花斉放、多彩な意見が目立つ。古庄氏は、靖国問題に代表されるように「正しい歴史観を持つべき」というかなりの保守派である。一方、森本敏氏は田母神問題で彼の歴史観を手厳しく批判したように比較的リベラルである。しかも、森本氏は石破氏の防衛省改革にも委員として参加しながらも「(石破氏のは)組織いじりに過ぎない」とのコメントをマスコミにしている。

また、石破氏は、安倍政権の安保政策批判の急先鋒である柳澤元官房副長官補とも良好な関係であり、彼をわざわざ先日の自民党の安全保障法制整備推進本部に呼んだのも石破氏であると聞く。

このように、石破氏が、どのような考え方や立場の人間であっても、専門家であり論理的であれば尊重し拝聴しなければならないと考えていることが分かる。一言で言えば器量が大きいのである。他方で、自衛隊OBとの関係が目立ち、内局出身者や外務省とは疎遠である。

他方、安倍首相のブレーンは保守派の外務省OBばかりである。谷内正太郎NSC局長、兼原信克NSC副局長は外務省北米マフィアであるし、師匠の岡崎久彦氏は名うての保守派も保守派である。第一次政権で安倍夫人の補佐官を務め、マスメディアで安倍首相の弁護役をやっている宮家邦彦氏も外務官僚だ。名文家で知られる演説担当の谷口智彦内閣官房参予は、日経記者出身だが、元外務省副報道官を務め、谷内氏の弟子筋であることから、これも外務省系列と言ってよい。

各種諮問会議でも目立つのは柳井俊二元事務次官のような外務官僚か、北岡伸一国際大学学長等のような外務省と関係の深い人間である。

そして注目すべきは、彼らが皆、判を押したように同じ意見であることだ。この人々が、靖国参拝等の安倍首相の歴史修正主義者的行動が対米関係に与える悪影響を論じたことはほんとどない。むしろオバマ政権を批判する傾向にある。

今回の集団的自衛権に関する「中身のない」閣議決定を批判する声はほとんど聞かない。マスコミや国民の誤解や無知無学を批判はしても、である。

石破氏のような実務的な問題に対する意見もほとんど聞かない。憲法九条を守ればそれでよしとする論者のように、集団的自衛権を容認すれば問題が解決するような事は言うのだが。

それらの意見は一理なくもないし、ここで賛否を論じないが、注目すべきはこれが安倍首相と全く同意見で、それしかないことだ。

こうしたことから推察するに、「お友達内閣」がそうであったように、安倍首相は自分と意見の違う人間は好まないようだ。これでは政治家として異論を許容する幅が余りに狭いと言わざるを得ないし、外務省の北米マフィア・保守派の意向が強すぎると批判されても仕方がない。

5.国会:重視 VS 軽視
国会をどう考えるかも二人は大きく違う。石破氏は国会重視である。例えば、集団的自衛権の行使に際しては、国会承認を緊急時を除けば必須であると主張している。また、今回の閣議決定による容認にも批判的であり、かねてより国会決議を受けての閣議決定を行うべきと主張していた。また、彼念願の安全保障基本法についても議員立法でやるべきと主張しており、国会重視が見てとれる。これは石破氏の議会人として健全さを示していよう。

対するに、安倍首相は相対的に国会軽視と言わざるを得ない。自民党が絶対多数を確保しており国会決議なぞ時間も手間もかからないのに、わざわざ批判を受けるように閣議決定のみを取り急ぎ行ったからである。
真に安全保障の民主的基盤を重視するならば、石破氏が言うように、集団的自衛権容認の国会決議が先であるべきだったろう。安倍首相が議会人であるならば、偉大な先達の板垣退助の「国会は深慮、官僚主義は浅慮」の指摘に倣うべきだったのではないか(注1)

少し話がそれたが、以上のように安全保障における国会の役割でも、石破氏は国会重視、安倍首相は国会軽視と正反対の姿勢なのである。

6.結論
このように、政局云々以前に、二人は安全保障の対米観、政策姿勢、ブレーン、国会の全てで真逆の関係にある。砕けた言い方をすれば、「軍事マニア」と「ネット右翼」の関係と言えよう。

インターネット空間では、この両者が不毛な議論をしばしば行っていることから自明のように、両者の見解が一致するはずもない。そこに敬意や信頼はない。軍事マニアはネット右翼を「無知無能な愚劣」「日本が好きな”だけ”の役立たず」と断じ、ネット右翼は軍事マニアを「米国の走狗」「知識だけの売国奴」だと見なすように。

平行線は何万光年たっても平行線であるように、両者が対立するのは必然なのである。故に、政局的な文脈以前に、石破氏が安全保障担当大臣を引き受けるのは、自己のアイデンティティの破滅なのであり、引き受けるはずもないのである。

これが両者の対立の根幹である。

注1
以下のブログによれば、板垣退助は民撰議院設立建白書において下記のように述べているという
「国会は拙速に物事が進むことを防止し、物事を丁寧に扱う機能があることに特徴があります。これに対して、官僚は物事の本質を失って省益による対立をしており浅慮である。さらに、官僚が好き放題なことを行うことは憲法がないからである」
「何故、日本に国会があるのか(後編)板垣退助が語る民撰議院設立建白書」

站谷幸一(2014年8月29日)

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