格闘技界のレジェンドから学ぶ仕事術(2)

常見 陽平
中井祐樹
イースト・プレス
2014-08-07



格闘技のレジェンド、中井祐樹氏との対談、第2回目は「型」との付き合い方、練習とは何かということについて。今回も企業における人材育成にもつながる話だった。オリジナリティあふれる彼の論に耳を傾けて欲しい。
※第1回目はこちら
https://agora-web.jp/archives/1611113.html


■「型」には囚われず、うまく付き合う
常見:格闘技における「型」について質問したいです。私、「型」というものを以前は舐めていたのですよ。その最たる例が、受験勉強です。私、詰め込み型の受験勉強が嫌だったのですよ。高校時代は、ずっと授業中は寝るか、読書していました。型にはめられるのが嫌だと思ったのですね。結局、短期の詰め込み学習で大学に進学したのですが。でも、あとでそのことを後悔したのも事実です。「型」というものもこれは大事だと。だから、考える基礎力が弱いのだなと感じることはよくあります。物書きや講演の仕事についても、私は基礎的型を覚えることをサボって来た方だなと反省したりします。とはいえ、型に囚われるのも違うかと。中井さんは「型」ということについてどうお考えですか。

中井:格闘技における「型」というのは、一つのものをやらせるというニュアンスが強いです。でも「型」自体はすべての団体で違うので、つまり「型」は個人の考えが反映されたものに過ぎないのです。だから自分は指導において「僕はこう思うけど、違うやり方もあるよ」ということを伝えることを前提条件にしています。そういう指導で、その人独自の言葉や考え方が技となって具現化されると思っています。

常見:「型」に対するスタンスは格闘技の種類で違いますよね。「型」に関して、中井さんは絶妙なバランス感覚をお持ちだと思います。創意工夫の余地を残そうとする姿勢が良いと思います。

中井:「型」を重んじること自体はすばらしいことで、「型」で基礎が磨かれるのは事実なのです。例えば寝技を磨くために、「エビ」というグランドの動きの練習が大事だとされています。しかし、そこで「エビ」だけを毎日やればいいというわけではありません。そこに終始してはいけないのです。僕は「型」を創ろうとしてはやめて、白紙に戻すということをずっとやってきました。「パラエストラの型」を創った方がいいと言われて、途中まで創りましたが、「これでは囚われてしまう!」と思ってやめました。僕が考える「型」とは、長年の格闘技に対する考え方が具現化したものです。だからそれぞれの道場・流派のスタイルがオリジナルなものとして生まれるのです。元来、日本の格闘技者はこのような経緯から生まれた「オリジナリティ」を重んじていたはずです。でも今は、MMA(Mixed Martial Arts)でアメリカが強ければ、アメリカに学び、ブラジリアン柔術でブラジルが強ければ、ブラジルに学ぶという方法論がメジャーになっているのが実情です。

常見:「アメリカか、ブラジルか」ということは『希望の格闘技』の中でも言及されていましたね。そのような現状を中井さんはどのように考えられていますか。

中井:「日本にはないもの」を求めることが最善策ではないと言っています。自分のルーツに基づくスタイルを考えられないとしたら、必ず原因はあります。そこを突き詰めていけば、自分の動きができるようになると思っています。

常見:格闘技の「型」に対する姿勢の問題は、ビジネスの現場で起きていることと、まったく同じであると思います。「営業で成果を上げる」という普遍的な目標に向けて、どのような営業スタイルが良いかと「定説」は時代で大きく変わります。データベースを駆使するスタイルや、行動モデルを固定するスタイルがもてはやされる時代があれば、一方で採用に力を入れた上で個人の自由にさせるスタイルが良いとされる時代もあります。どちらのスタイルにしても、職場環境や組織の戦略とマッチするかということが大切ですが、一つ明確に言えるのは、現場から「創意工夫」を無くしてしまえば、組織に未来はないということです。人材が「金太郎飴」状態になって、成果は出ないと言えると思います。もちろん、それも組織マネジメントの考え方の一つではありますけどね。中井さんが格闘技の指導において、「型」に囚われずに選手が自由にスタイルを生み出す余地を残しているのは、結果を残している営業組織の特徴と共通していると思います。

■「何かのための練習」という発想を捨てるべし
中井:僕のジムに在籍している人の、やりたいことの方向性は多様です。UFCを目指している人、日本で格闘技をしたい人、ブラジリアン柔術を極めたい人、他の民族格闘技をしたい人、そして試合に出ることは考えずに技のみを磨きたい人というように、100人いたら100通りの目標があります。

常見:そういった種目の違う選手たち同士でのジム内での練習はどうするのですか。

中井:今日もジムで7人の選手が練習をしていたのですが、全員の種目のルールが違いました。モンゴル相撲、柔道、ブラジリアン柔術、二つの異なるルールの総合格闘技、ZST、グラップリングの七種ですね。モンゴル相撲の試合の前にパスガードの練習をしています。モンゴル相撲には寝技がないですけど(笑)。  

常見:(笑)

中井:みんな笑いますが、これは実はすごく哲学的な問題を含んでいます。「はたしてモンゴル相撲にとってパスガードの練習は意味をまったく持たないのか」という問いです。例えば試合に行く前には「階段を上がる」という動作をしますし、「つり革に捕まる」という動作をします。その「日常の動作」の中で養われる筋肉は、モンゴル相撲とは関係がないのかと問われれば、やっぱりあるわけです。僕は北海道出身だけれど、冬は日常的に雪かきをしないといけないのですが、「雪かきの動作は柔道にいらないので、試合前は雪かきをしない!」ということにはならないですよね(笑)。「生活の中のすべての動作が格闘技に繋がっている」という発想でいれば、すべてをポジティブに受け入れることができます。「この動作はこの技ができるようになるための練習」という発想は消えるので、自分の中で「枠」が壊れて、いいものができていくと考えています。

■「七帝柔道出身」を名乗らない~結果で示す、非セルフブランディング的発想
常見:中井さんのエピソードの中でも、修斗に入門されてすぐ教えていたというのには驚きました。
中井:はい、確かに教えていましたね(笑)。
常見:七帝柔道であれほどの実績のあった中井さんにとっては、修斗への「入門」は「移籍」だったと僕は解釈しています。
中井:そんなことはないですよ(笑)。そもそも僕は師匠の佐山先生に「七帝柔道」の話はほとんどしたことがありません。「七帝柔道というすごい柔道を僕はやっていました」なんて言うはずがないです(笑)。僕にとっては、もちろん強みではあるけれども、あくまでもただのルーツ。そういうことを初めから表に出したところで、意味はないと思います。だから入門した時は「柔道出身です」という簡単な自己紹介で、「お前、寝技強くないか?」と言われたら「寝技を重視する道場だったので」と軽く答えていました。どんなにすごい流派の格闘技をやっていた経験があっても、実際に試合の場で勝って、その後に「実はあいつは○○というすごい流派の出身らしい」でないと意味がないのです。
常見:なるほど、あえて言わずに隠しておくというスタンスですね。その中井さんの発想は、少し前から若手ビジネスマンを中心に流行しているセルフブランディングという「実力以上に自分を盛ってみせる」という手法の真逆ですね。
中井:確かに若者の間に、そういう風潮はありますね。ルーツに自信を持つのは悪いことではないけど、「実はすごい!」という結果で見せつけることが重要だと思います。

(つづく)

中井祐樹:1970年北海道生まれ。高校時代にレスリング、北海道大学では高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学ぶ。同大中退後、上京しシューティング(修斗)に入門。修斗ウェルター級王者となる。1995年バーリトゥードジャパンオープンでは決勝に進み、ヒクソン・グレイシーに挑んだ。右目失明により修斗を引退し、ブラジリアン柔術に転向。ブラジル選手権アダルト黒帯フェザー級銅メダルなど、アメリカ、ブラジルで実績を残す。日本におけるブラジリアン柔術の先駆者であり、現在、日本ブラジリアン柔術連盟会長、パラエストラ東京代表。