格闘技のレジェンド、中井祐樹氏との対談、第3回目、最終回は「枠」の壊し方、個性の伸ばし方、師匠論。
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■誰が「枠」を壊すのか?
常見:中井さんの考える、日本の格闘技における「枠」となっているものは何ですか。
中井:それぞれの格闘技という「枠」が最も強固なのではないでしょうか。例えばブラジリアン柔術をやっている人ならば、ブラジリアン柔術という「枠」の中でしか考えられないし、MMAでも同じです。そういった「枠」に縛られた格闘技者の輪の中に、特異なところを持っている人が入らないと「枠」の内側にいる人々が、その格闘技自体に自信を失ってしまうと危惧しています。僕自身は特異な考え方をする方なので、黒澤明の映画を見て、技を思い付いたこともあります(笑)。現役の時からそういう思考法でいたので、どうすればセンセーショナルな勝ち方ができるかということを考えていました。例えばプロ4戦目では、「絞め落として勝つ」という方法を選びました。当時「絞め落とす」ということは、プロレス文化ではわからないことなので一般の人は知りませんでした。だからこそ「絞め落とす」姿を見せつけて勝てば、それは「センセーショナルな勝ち方」になると確信していました。センセーショナルなことをしようと考えると、自然とその方向に向かっていくと経験的にわかっているので、必要な選手には伝えています。今のMMAを見ている人は、異種格闘技戦での派手な前蹴りを想像することができません。今のMMAでは、想定できる範囲内のプレーしかないように思います。
常見:なるほど。自分を縛る「枠」を壊すためには、センセーショナルなことを「しよう」という発想を常に持つことが大切だということですね。
■突拍子のない発想を排除しない~「個性」を許容し、伸ばす指導
常見:中井祐樹さんが育てた弟子で、最も著名な一人は青木真也選手です。なぜ青木真也選手は中井さんのところに入門されたのでしょうか。
中井:青木君は世に出るときの「礎」として、意図的に僕を選んだと思います。北岡悟君もそうだと思う。その後の彼らの道のり見ると、僕のところで指導を受けたのは、最初としては良かったのではないかと思っています。彼らを指導する上で、「突拍子のない思考」を良い形で発揮できるようにしてきたつもりです。彼らの新たな発想を頭ごなしに邪魔したことは一回もないです。今や大家となった彼らも、「発想の突拍子のなさ」故に、普通の部活などでは息苦しかったと思います。
常見:青木選手が、柔道の試合で飛びつき十字をしたという噂を聞いたことがあります。確かに本当ならば斬新な発想ですね。
中井:たぶん監督には「もっとちゃんと柔道をやれ!」なんて言われていたのではないでしょうか。指導においては、「突拍子のなさ」や「空気の読めなさ」をどう「個性」として捉えるかという問題があります。例えば、ぎりぎりの削りあいのスパーリングしたい人がたまにいます。でも道場では嫌われて孤立してしまう可能性の方が高いです。でも僕はその志向を「個性」として扱います。その人にとっては、練習にふさわしい場所が「ここではない」というだけで、同じ志向の人間をSNSで告知したりして、集めて練習すればいいと思います。それが新しい道場の形かもしれません。でも「個性」として認めるだけでは、絶対に何かの要素が抜け落ちるので、「個性」を認めた上で指導者として大きな枠組みを見せてあげれば、良い形で選手が仕上がることが多いです。
常見:なるほど。中井さんの根底にあるメッセージは「違いを理解し、その上で伸ばす」ということですね。
中井:まさにそこを意識して指導しています。格闘技においては、「先生のやり方に合わない人は去るしかない」というのが常識とされています。でもそういった「排除」だけは絶対にやりたくなかった。空気読めない人やみんなと違う志向を打ち出す人の「少数意見」はアリだということを、指導の上でできるだけ表現するようにしています。例えば、「新たな競技の練習をしたから、あなたの格闘技スタイルが崩れるということはない。心配するな」と率直に伝えるし、「自分以外の先生の技を学んでもいい」とも言います。しかし「選手に選択権を持たせる」指導をする人は、ほとんどいないのが実情です。みんな発想として頭では分かっているのですが、口に出していう人はいないです。
常見:中井さんはその格闘技界の常識に囚われない自由な発想のルーツは「道民の発想」であると言われていますよね。同じ道民の僕もやはり比較的自由に物事をとらえます。やはり何か関係があるのでしょうか。
中井:道民は「こだわりのない発想」をする傾向にあると思いますよ。
常見:なるほど。道民じゃなきゃ、スープカレーなんて作らないですよね(笑)。
■「心の師匠」をつくる~受け入れたい発想こそが「師匠」
常見:青木選手や北岡選手は中井さんを「指導者として選んだ」わけですが、逆の立場で、「指導者を選ぶ」際に、中井さんの考える重要な基準はありますか?
中井:指導者が出している意見を「受け入れたい」かどうかは基準になるでしょう。意見でなく、フィーリングでも構わないと思います。「師匠を持とう」という発想は有益だと思います。この人を師匠と「思うことにする」というのでも良いので、対象が例えば技術書のような本でもいいです。ある人物が言うこと、ある本に書かれていることを一度骨の髄まで入れてみようとすることは良いことだと思います。
常見:教えを仰ぐ時に「受け入れたいかどうか」は大切で、これはサラリーマンが上司を選ぶときにも言えることだと思います。一度は師匠の考えを自分の中に入れて、咀嚼してみるということですね。
中井:そうです。咀嚼してみた結果、元の形から変わるのは構いません。ある「師匠」を出発点として、後に「ぶん投げる」のもいいのです。僕は直接の師匠は佐山先生であり、本や発言ではアントニオ猪木や力道山やミック・ジャガーの影響を強く受けています。彼らの考えを頭の中に吸収し、しゃべっているとその内に「自分の発言」のように感じてきました。出典を忘れて自然に話せるようになれば、それはもう「自分の言葉」になっているわけです。師匠の発想が自分の中で自然にできるようになれば、卒業してもいいと思います。窮屈であれば、あまり師匠だからと言って意識しすぎなくてもいいのですが、「心の師匠をつくる」という感覚はあったほうがいいと思います。
常見:ありがとうございました。
中井祐樹:1970年北海道生まれ。高校時代にレスリング、北海道大学では高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学ぶ。同大中退後、上京しシューティング(修斗)に入門。修斗ウェルター級王者となる。1995年バーリトゥードジャパンオープンでは決勝に進み、ヒクソン・グレイシーに挑んだ。右目失明により修斗を引退し、ブラジリアン柔術に転向。ブラジル選手権アダルト黒帯フェザー級銅メダルなど、アメリカ、ブラジルで実績を残す。日本におけるブラジリアン柔術の先駆者であり、現在、日本ブラジリアン柔術連盟会長、パラエストラ東京代表。