「翼賛体制」はどこから生まれたのか

池田 信夫

数十人の(自称)元慰安婦の敗訴した裁判という超マイナーな話題が、20年以上にわたって世界的大事件になった最大の原因は朝日新聞だが、問題はそれだけではない。事実を無視して「正義」をいいつのる左翼(戦前は右翼)が情緒的な「空気」を作り出す点は、30年代の日本とよく似ている。


片山氏も『未完のファシズム』いうように、皇道派も統制派も日中戦争は考えていなかった。限られた国力の中で負け戦を避けるという点で、両者は合意していた。ところが皇道派が派閥抗争に利用した「天皇親政」というカルト的な教義が青年将校に影響を与え、天皇機関説を排撃する蓑田胸喜などのファシストが台頭した。

さらに悪いのは、官僚がこの空気に迎合して「国体の明徴」といった無定義語で天皇を神聖化し、誰もその空気に抵抗できなくなったことだ。丸山眞男も、日本がどこから坂を転げ落ち始めたかについて「美濃部先生の事件のころだったと思う」と述懐している。

蓑田は今でいえば福島みずほや飯田哲也みたいなもので、大した力はなかった。彼らを売り出したのは、満州事変以降、「戦争は売れる」という状況の中で、対外強硬派に転じた新聞だった。五・一五事件には100万人以上の助命嘆願が集まり、朝日新聞の緒方竹虎が中心になった近衛文麿の大政翼賛会を、大衆は熱狂的に支持した。

日本の大衆は事実と論理がきらいで、格好いい「正義」が人気を集める。それが社会を席巻すると、その「空気」に官僚が迎合して、誰も止められなくなる。「天皇が機関とは何事か」という話が出てくると、誰も異論を唱えられなくなる――これは慰安婦問題をめぐって、ここ20年ぐらい続いた状況と似ている。

同じことが原子力でも起こっている。原発の「再稼動の認可」などという手続きは原子炉等規制法にはないのに、存在しない手続きをめぐって原子力規制委員会と電力会社の交渉が続いている。朝日新聞は再稼動に絶対反対し、そのおかげでGDPが毎年0.5%吹っ飛んでいるが、経産省は廃炉を前提にした制度設計をし始めた。天皇機関説のころと同じだ。

歴史的にみると決定的な分岐点は、文部省が空気に屈服して「国体の本義」を出したことだ。慰安婦問題の場合は、外務省が国家賠償に応じなかったことが幸いだった。おかげで朝日新聞が韓国と一緒になって20年以上騒いだが、今回は二・二六事件と同じく、辛うじて鎮圧できた。

歴史の教訓に学ぶなら、ここで暴走の芽を摘むためには、朝日新聞が誤報を検証するだけでなく、特報部や大阪社会部を解体し、「プロメテウス」取材班や福島総局の本田雅和記者などの左翼ファシストを追放することが重要だ。