河野談話を見直す必要はない

池田 信夫

朝日の謝罪で、状況は急速に変化している。「強制連行」が崩れたおかげで、反対派の論拠は「女性の人権」しかなくなった。その中で唯一、検討に値するのは「アジア女性基金で民間からの拠出によってまかなった償い金を政府予算で拠出することを核とするスキーム」を創設するという東郷和彦氏の意見である。


これは具体的には、2012年に野田首相が李明博大統領と合意に達した「償い金」のようなものをさしていると思うが、それで問題が解決するとは思えない。河野談話やアジア女性基金のときも、金泳三大統領が了解し、両国の合意で決めた「示談金」を無効にする韓国に対して、何度カネを出しても同じことになる。

そもそもアジア女性基金が――条約局長だった東郷氏も知っているように――日韓の請求権問題を完全かつ最終的に解決するという日韓条約に違反するぎりぎりのところだった。「一度条約を破ったら、二度も三度も出てくる」という反対論を押し切って、村山内閣がやったのだ。このときの外相も河野洋平氏である。

NYTの田淵記者などは、この経緯を知らないので「女性の人権」ばかり問題にしているが、軍が売春婦を使っていたことは既知の事実で、その多くが人身売買によることも明らかだった。それは1992年に、日本政府が謝罪したのだ。ところが韓国メディアが「強制連行を認めろ」と騒ぎ、韓国政府が「強制性を認めれば政治決着する」と要求したのに対して出した、ぎりぎりの妥協が93年の河野談話だった。

ところが、これが逆に「日本は軍の強制連行を認めた」という話になって、「日韓条約のときは知られていなかった新事実が出たのだから条約以外の国家賠償をしろ」と韓国が要求し始めたのだ。田淵記者は嘘がばれたら「強制連行なんかどうでもいい」というが、争点は一貫して強制連行だった。女性の人権だけなら、1993年に終わっていたのだ。

これは普遍的な人権問題ではなく二国間の請求権問題であり、それはアジア女性基金ですべて終わっている。韓国政府が強制連行の主張を引っ込めるなら、河野談話を見直す必要もなく、歴史の検証も必要ない。「強制連行はなかったが人身売買はあった」というのはすべての歴史家の合意する事実であり、20年前からわかっているからだ。

「強制連行は不問」ということで朝日やNYTなどの意見が一致するなら、あとは韓国政府の問題だ。朴槿恵大統領は「慰安婦問題で日本側の勇気ある決断が必要だ」と言っているが、これが償い金のようなものを意味するなら、拒否して「国際司法裁判所でやろう」といえばよい。司法の場で、完全かつ最終的に決着をつければいいのだ。