行列店から考える「消費する」楽しみ --- 岡本 裕明

アゴラ

人気ラーメン店に大行列。あるいはテレビで紹介されたスィーツの店前は黒山の人だかり。

「行列ができる店はどこが違うのか」という本もあった記憶がありますが、それは人気店、うまい店、失望させない店、話題の店といったポジティブなイメージが並びます。実は行列は日本だけではなくどこの世界にもあります。それこそ昔の東欧諸国やソ連では一日並んでようやく牛乳と卵をゲットするといった話もありました。あるいは昼になると12時ピッタリに行政の受付窓口が「昼休みですから」と閉まるような話は今でも海外に行けば結構ありそうな話です。ただ、これは違う意味での行列ですが(笑)


ここバンクーバーもある行列ができることで有名でした。何に並ぶかというとコンドミニアムの建築着工前の販売会の発売日であります。販売会社は派手なメディア広告で購買層の心理を煽ります。更に販売会場に入場制限をかけて意図的に行列を作り、その上、昔、行列して待っている人にドーナッツやコーヒーを配るという「サービス」までして否が応でもお祭り気分を盛り上げたりしたのです。

行列をみると人づての噂が急速な勢いで広まり、更にメディアがそれをかぎつければもう止めようがない状態になります。しかし、ドーナッツやコーヒーでコンドミニアムが売れるのなら安いマーケティング費用です。

では、本当に人々は行列を好き好んでいるのでしょうか?

私は違うと思っています。

カナダのクリスマス直後の初売りであるボクシングディは多くのお店が5割6割引きの宣伝をうって大バーゲンを早朝から行います。私も「参戦」したことがありますが、2、3回でめげました。理由は行列することでエネルギーをものすごく使い、期待が高まり過ぎてしまうのです。ところが、ようやくたどり着いた店の中もごった返し、店員は捉まらず、欲しいものは売り切れてゲットできずとなれば何だったのか、という事になるのです。

つまり、行列をした結果、消費者の期待のハードルははるかに上がってしまうという事です。お店がそれ以上のクオリティや素晴らしいものを提供できればよいと思います。が、何度も行列したいと思わせるのは私はディズニーランドぐらいしか思いつきません。ディズニーのようにエンタテイメント系の場合、並ぶこと自体が盛り上がりでようやくマシンに乗れた時、最後のピークを見せるという仕掛けではないでしょうか?

ところが最近、行列をさせない経営をするところが多くなってきました。手近なところではカナダの病院。アポイント制が主流です。多くの患者が長椅子に疲れた表情を見せているのはメンタル的にもどうかと思います。一方、ほとんど誰もいないクリニックで受付嬢がにこやかに対応してくれれば調子が悪くてもこれで先生に診てもらえるという期待感すら湧いてきます。

高級レストランや人気レストラン。ほとんどが予約で埋まっています。飛び込みで行っても「申し訳ありません」と断れます。高級コンドミニアムの販売。最近はアポイント制です。指定された時間に行けば担当者が懇切丁寧に説明してくれます。

顧客からすれば目的のものにすっと入り込み、スムーズにコトが進めば極端な話、満足度が低くてもハードルが下がっていることもあり、よかったね、というケースもあり得るのです。つまり、行列のできる店の逆で「また来ようか」という気持ちにさせやすいのです。

今後、リテールやレストランに求められるものとは商品を提供するのではなく、消費者をエンターテインすることなのではないかと思います。忙しくてへとへとの従業員と自分だけに親切にすごく良くしてくれる従業員ならどちらが気持ちよいでしょうか?

例えばルイヴィトンのお店。土日の午後は行くものではありません。あんなごった返したバーゲンセールの会場のような雰囲気でなぜデザイナーズブランドを買いたいと思うのでしょうか? あるいはスタバのコーヒーを買うのになぜ、10分も並ばなくてはいけないのでしょうか? イタリアのバールはバリスタと顧客の軽いチャットがキーだったはずです。機械のように作られたコーヒー(いや、スタバのコーヒーは機械が作っていますが)に商売の本質が失われているような気がします。

ショッピングとはクリック一つで売買成立という世界ではなかったはずです。便利さばかりを追求して消費する楽しさをどこか置き忘れてきてしまったのではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年9月23日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。