フラットな世界で生き残るためにできること

松岡 祐紀

シチリア島のとある港町にて。

トリップアドバイザーでとある日本人の方の現地レストランに対するコメントが「白人家族にたいしては親切なのに・・・アジア人のことは嫌いのような気がする」と書かれた店に行ってみた。別に怖いもの見たさではなく、ほかの人たち(主に外国人の)のコメントがとても好意的で評判が良かったからだ。


結果、すべての店員さんの愛想は良く、料理も非常においしかった。
こちらが拙いながらもイタリア語で注文し応対したのも、彼らの機嫌を良くした一因かもしれない。

だが、世界各国こちらが笑顔で応対しているにも関わらず、それでも感じの悪い店員に会うことはそれほど多くない。特にトリップアドバイザーのようなサイトで評判のいい店ではなおさらだ。

4、50カ国旅しているが、その経験を踏まえても、こちらが相手に対して歩み寄る限り、相手の応対はとても丁寧だし、親切だ。例えば、今は嫌韓、あるいは中国などに悪感情を抱いている人が多いが、実際に現地に行ってみて彼らと接してみると、驚くほどこちらに好意的だし、親切な人が多い。
(もちろん、なかには変な人もいる。それは日本にもいるのでお互い様だ)

アジア人、白人、黒人と世界には様々な人種がいるが、自分自身のことを肌の色や国籍で縛り付ける限り、このような不幸はなくならない。

もし、とある国でとある店員に無愛想な対応をされたら、まずは自分の対応を疑うことだ。そして、特に自分に非がなければ、肩をすくめて、違う店に行けばいい。何もわざわざ多くの人が見るトリップアドバイザーのようなサイトで、他者を貶めるようなコメントを残すべきではない。

結局は個人対個人の関係が最終的にはモノを言う。

例えば、日本に来た外国人の観光客でも、我が物顔で英語で注文してこちらが分からなければとたんに白けるアメリカ人よりも、拙い日本語で一生懸命注文しようとする台湾人やドイツ人のほうに我々は好感を覚えるはずだ。(あくまで例です・・・・)

あらゆる争い事は、結局のところ本人たちの思い込みにより始まる。
「自分たちはアジア人」ということに対して、どこか卑下した気持ちがある限り、大げさな話、人種差別はなくならない。人には上もなく下もない。白かろうが黒かろうが、黄色かろうが関係ない。

人の人生は国籍や肌の色で決まるのではなく、個人の努力とそれに伴う能力と魅力によって決まる。

そのように割り切れれば、たいていのことは許容できると思う。特に日本のような恵まれた環境に生まれ育った我々には、人から羨まれることはあっても卑下するようなことはひとつもないはずだ。

人種差別は意外とこういう小さなところから根を生やし成長する。

世界からどんどんと国境という境界線が意味を成さなくなり、国よりも巨大な力を持つ企業がすべてを牛耳るようになってきている。そのなかで、戦うためにもよりフラットな目で持って常日頃から世界と接していないと、足元をすくわれてしまう。

「アジア人だから」と言って自分を納得させることは簡単だが、他国の人にはそんな理由は通用しない。自分自身という単位でしか人は評価されない時代になってきている。そのことだけでもこれからは強く肝に命じておくべきだと思う。

株式会社ワンズワード
松岡 祐紀
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