日韓問題に「プエルトリコ」を持ち出した理由は、「日韓併合」と「米国によるプエルトリコ併合」の経緯が、韓国が日本を「日帝」と呼ぶなら米国を「米帝」と呼ばなければおかしいほど酷似しているからだ。
日本では余り話題にならない国際協定(覚書)に、1905年7月29日の日付が記入された桂・タフト協定(覚書)があるが、これは現在の日韓関係の基礎となった重要な協定である。
- 日本は、米国の植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明する。
- 極東の平和は、日本、米国、英国3国による事実上の同盟によって守られるべきである。
- 米国は、日本の韓国における指導的地位を認める。
と言う主旨を盛ったこの協定は、韓国内では日本による韓国併合の直接原因となった諸悪の根源だとか、米国が信頼できない国である実例としてしばしば引用されるほど認識されていると言うから、朴大統領や韓国メディアが繰り返す「日本の侵略」とか「日韓戦争」などと言う反日宣伝は、先の拙稿で指摘した通り「望ましい結果を生む宣伝はみな良い宣伝で、それ以外の宣伝はみな悪い。大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう。」と言うナチスドイツの宣伝政策を踏襲した、嘘を承知の確信犯である可能性が高い。
韓国の反日宣伝はさておき、その後、1905年9月4日にこの協定の内容をそっくり盛り込んだポーツマス条約に日本とロシアが調印し、1910年の韓国併合条約て日韓併合は確定し、列強のすべての国が大韓帝国に対する日本の支配権を認めることとなった。
この経緯からも、日韓併合に「日韓戦争」や「日本による韓国侵略」が存在しなかった事は明らかである。
「日韓併合」と「米国によるプエルトリコ併合」の類似点は他にも色々ある。
第一は、米国のプエルトリコ併合前に米国とスペインの戦争はあったが、米国とプエルトリコの間には戦争がなかったように、日本とロシアとの戦争はあったが、日本と韓国は戦争をしていない事である。
第二は、プエルトリコは1898年のパリ条約、韓国は1910年の韓国併合条約で併合が決定した様に、共に国際的に承認された併合であった事である。
第三は、プエルトリコでも韓国でも、併合反対運動は起きたが、全国的に広がらなかった事である(プエルトリコでも独立運動が起り、米国は軍隊を送り島内の反乱を終了させたが、犠牲者は死亡者28名、負傷者49名程度で、日韓併合に反対した「三・一運動」の犠牲者が、韓国独立後に発生した「5.18光州民主化運動」に代表される数多くの抵抗運動の犠牲者に比べれば、極めて軽微なものであった事に似ている)。
第四は、プエルトリコ人も韓国人も併合国の軍隊に参加して戦った事である(プエルトリコの場合、併合後、直ちに徴兵制の対象となり第一次世界大戦だけでも2万人に上るプエルトリコ人が徴兵され、多くの血を流したのに対し、韓国の場合は、当初は日本軍に志願する資格を制限されていたが、第二次大戦勃発後はその制限も解かれ、多くの志願者の中から、激しい競争を経て20万人以上の志願兵が日本軍人として参戦した)。
第五は、プエルトリコ人も韓国人も、共に米国や日本の市民権を付与され、居住の自由が認められた事である。
第六は、被併合国民に対する偏見と差別が存在した事である。
第七は、被併合国民の使用言語が併合国の言語と異なる事である。
弟八は、この二つの併合は、併合された住民の希望ではなく、大国であった日米両国のエゴを満たす為の併合であった事である。
第九は、この二つの併合は、米国の承認なしには成立しなかった事である。
第十は、独立の為に激しい抵抗運動を展開していたのは、キューバとフィリピンで、プエルトリコや韓国には武装抵抗は存在しなかった事である。
第十一番目は、キューバやフィリピンでは、スペイン官憲による反逆者の処刑や残酷行為が頻発したが、プエルトリコや韓国では、その様な残虐行為はなかった事である(蛇足になるが、米国のある新聞が「米国婦人を裸にするスペイン警察」という捏造記事を書いて、スペインの残虐行為を誇大に報道し、米国国民の人道的感情を刺激し、キューバへの介入を求める勢力の増大を招いた例は、何処となく韓国の「反日」「慰安婦」問題と似ている)。
プエルトリコと韓国の併合の経緯を客観的に比較すると、この併合は大国のエゴを満たす為に武力を背景にした一方的併合ではあるが、侵略や戦争の結果ではない事が明らかになる。
このように、歴史的に酷似した経緯で併合された韓国とプエルトリコだが、その後の足取りは驚く程異なる。
韓国では独立して約70年を経た今でも、「日帝36年の弾圧」への恨みは消せないとして、「反日」を国是としているのに対し、併合から100年以上も経たプエルトリコは米国領に組み込まれ、住民には市民権を与えられながら、プエルトリコに居住する限り大統領選挙への投票権は賦与されないままである。
それでも政治的差別だとして米国に抗議をしないプエルトリコに比べ、韓国籍の在日韓国人に参政権を与えない事は差別だと主張する韓国を隣国に持つ日本外交の難しさはよく判る。
この違いが何処から来たのかを解き明かすことが、日韓関係を正常化させるために必要なのかも知れない。
朴大統領は「正しい歴史認識」と簡単に言うが、「認識」も「正しさ」も所詮は個人の意見に過ぎず、万人が一致する「正しい歴史認識」を見出す事は容易ではない。
ここまでこじれた日韓関係の正常化には、少なくとも「虚言を弄する事」と「挑発的な言動は」お互い慎み、見解の相違はあっても、共に真摯な努力を続けることが必要である。
それ故、この問題での日本の対応についての私見は、もう少し考えてから述べる事にしたい。
2014年9月26日
北村 隆司