吉野都議会議長が辞職を申し入れ 体調不良か – 産経ニュース
今回も波乱が生じた東京都議会。なんと最終日の前日となる昨日、都議会議長から
「一身上の都合」
として、突然の辞任願いがありました。これを受けて本日、本会議の最後に議長選挙が行われ、
高島なおき議員(自民党) 87票
棄権票 39票
計126票
という、都議会としては前代未聞の数の棄権票が生じる結果となり、私自身も棄権票(白票)を投じさせていただきました。
ここに至る経緯を、なるべく詳細にお伝えさせていただきたいと思います。長くなりますが、議会や民主主義というものにとって大事な話を含みますので、ぜひ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
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まず「議長」というのは、文字通り各議会の長・リーダーで、非常に格式の高いポジションです。
東京都議会の議長は知事と並ぶ「東京都民の代表者」として、あらゆる東京都の行事に来賓として参加をし、その存在をアピールします。
各地方自治体によってその任期や決め方は異なりますが、東京都議会では
「議長は最大会派から、副議長は第二会派から」
という暗黙の慣習の元、全会一致で議長・副議長が選出されます。選挙は立候補制ではない自由記名投票であるものの、事前に大会派が
「今回の議長は〇〇で行きますので、宜しくお願いします」
と各会派に調整をして、全会一致で議長を選出するのが、都議会のやり方なわけですね。
自治体によっては、野党(小会派)は各々自分たちの代表者を記名して投票結果が割れる議会も存在し、普通に多数決となって議長が最大会派から選出される場合もあります(こちらの方が多数派かも?)。
議長職の任期は、理論上(地方自治法上)4年間継続できますが、都議会ではその任期は2年と定められております。他の地方議会でも、これは概ね2年というところが多いようです。
まず、ここまでが前提です。
なぜ都議会議長選挙は「全会一致」で「任期が2年」となったのか。その理由を詳しく見ていくことにしましょう。
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議長の任期がどうして2年になったのかを知るためには、都議会の歴史を紐解かなければいけません。
まず、都議会議員選挙は、統一地方選挙と2年間ずれて、間の年の7月に行われているのですが、その理由を皆さまご存知でしょうか?
実は東京都議会は、1965年に一度解散をしています。それも、地方議会史上初の「自主解散」です。
この事実を学ぶために、第一級資料にご登場いただきましょう。
写真 1
1965年に緊急増刊された、
週刊朝日の東京都議会特集号です。
写真 2
当時の価格、なんと60円!これを保存していた都議会図書館は、本当に素晴らしい…。
さて、この解散の理由は、議長選挙に絡む大規模な金銭汚職の発覚です。都議会議長選挙における、議員間の多額の金品のやり取りが次々に明るみとなり、他の汚職と合わせて最終的には17人もの議員が逮捕・起訴される異常事態となりました。
写真
「たかだか身内の議長選挙で、買収工作…?」
と疑問に思うのが普通の感覚だと思いますが、当時の東京都議会議長の権力は、今と比べ物にならないほど絶大なものでした。その一端をよく表している例の一つが、「議長交際費」です。
写真 3 (1)
1965年当時、東京都の財政規模(予算総額)が6,700億円の時代に、議長交際費はなんと3,400万円超。当時のレートでこの大金が
「領収書の提出や、使用用途の公開義務なし(当時)」
で、黒いおカネとして差配できていたのです。
1965年は、大卒初任給が2万円超だったそうです。割合で現在と照らし合わせてみれば、東京都の総予算が13兆円ですから、実に640億円も議長交際費が使える計算になります。家が建つなんてものじゃないですね。
写真 3
(当時の予算規模がわかる画像)
ちなみに現在の議長交際費は、平成25年度実績で180万円弱となっており、現在レートの3,400万円でも多すぎるくらいです…。
これほどまでに「オイシイ」議長のポジションを、当時の最大会派の自民党は1年刻みでたらい回しにし、先を争うように利権を貪っていました。
そして白熱した議長レースは、ついに金権選挙にまで発展し、この不祥事を発端に次々と「議長」というポジションを利用して多くの議員たちが斡旋や談合に手を染めていたことが発覚するのです。
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こうした事態を受けて、もちろん都民たちは激怒します。どれほどの社会現象になったかは、週刊朝日が緊急増刊号を発行している事実からも伺えると思います。
そもそも地方議会には、自主的に解散する機能がありませんでした。知事不信任案を提出し、知事が辞職を拒否して議会を解散させるか、有権者からのリコールを待つしかありません。
世論が激しく自民党を責め立て、リコール運動が巻き起こる中、国政でも与党を取っていた自民党が急きょ特例法を国会で成立させ、都議会は政治史上初の「自主解散」に踏み切ります。法改正で、地方議会の解散を可能としたのです。
これ以降、都議会では
「議長というポジションのタライ回しが、この不祥事の温床となった」
「過度の議長選挙の過熱化が、金権選挙を招いた」
と深く自戒し、
「議長の任期は必ず2年とし、例外は認めない」
「議長職は事前に話し合い、全会一致で選出する」
として、1965年以降それを堅持してきたのです。このルールづくりを主導したのは、当事者であった自民党自身です。
「自民党議員はみな議長の有資格者なので、1年交代が良かろうということになったが、今後は第一党が議長の候補者を出して各党と協議し、任期を2年としてまた話し合いで決めるようにしたらどうだろうか」(当時の都議会自民党幹事長・村田宇之吉氏談)
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以上、法律改正まで起こした、かつての都議会解散の経緯を見てきました。
これがどれほど都議会にとって重大な縛りかと言えば、民主党が最大会派であった2011年、都合2年以上の任期を議長に務めさせようとした民主党に対して、議長不信任案が可決されたほどです。
>「地方自治法には議長の任期は議員の任期(4年)とある。2年ごとという慣例は自民の都合」
>と主張する民主と、「慣例は各議会の実情に応じて取り決めたもので、都議会議長の任期は2年ごとだ」
>と主張する自民が激しく対立、平行線を辿っていた。
に も か か わ ら ず 。
今回、私たちは議長の辞任理由を「一身上の都合」としか聞いておりませんし、入院したとの報道もありますが、事実関係は定かではありません。
実は、今期の議長は1年で交代するのではないか?との説は、少し前からまことしやかに風の噂で流れていました。
09年~13年の4年間、都議会では民主党が最大会派であり(政権交代前に選挙があったため)、第二党に甘んじた自民党はこの期間に、議長を輩出することができませんでした。
すると党内には、人材の「後がつかえて」しまうわけですね。期数としてはもう議長を経験して、「次」に行かなければならない。年齢としてもタイミングとしても、これ以上待っていることは難しい…。
交際費の額こそ当時と比べ物にならないとはいえ、「東京都議会議長」というポジションは、政治の世界では権威あるものです。議長として政治資金パーティーを行えば、集まるお金のケタも異なるでしょう。
このような政治的思惑が垣間見える突然の議長交代・選出には、全会一致として賛同することは到底できません。
「たかだか、議長の選出くらいで大げさな…」
「一度くらいの例外は、いいじゃないか」
と感じる方もおられると思いますが、権威あるポジションを政治利用していたことが過去に不祥事につながり、またその再発を防止するために自ら「縛り」を作っていたことは、重大な事実です。
今回、39票という前代未聞の棄権票が発生したものの、現在の都議会は与党自公で82議席。
「野党が束になって反対しても、何もできないだろう」
とタカをくくっていたことも、十分予想されます。まさにこれも、「数のおごり」なのではないでしょうか。
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長くなりましたが、以上が私が今回、抗議の意をこめて白票を投じた理由になります。
何も、慣習を守ることが大事なのではありません。むしろ私は、古い慣習はどんどん否定していきたいという立場です。
しかし、繰り返しになりますが、この議長選に関しては
・かつてそれが、あり得ないほどの不祥事につながった歴史的事実があること
・それを防ぐために、自民党が中心となって自らルールを作ってきたこと
・数の論理で、「一身上の都合」という唐突な理由を押し通してきたこと
これらを総合的に勘案し、今回の結論に至りました。
強者が自ら作ったルールの改ざんを始めることほど、社会にとって脅威となるものはありません。
都議会ヤジ問題といい、今の最大会派の対応には疑問を覚えます。
またも都民の皆さまに関係がない「政局」の話で申し訳ございませんが、1300万都民の政治を預かる立場の議員たちが、どのようなパワーゲームを行っているかは、次回の投票にあたって参考にしていただければと思います。
紆余曲折はあるものの、もちろん選出された議長は議長。都議会全体の代表者としてお支えし、円滑な議会運営が進むように協力していく所存です。
とっても長くなりました…
それでは、また明日。
おときた 駿
◼︎おときた駿プロフィール
みんなの党 東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。
twitter @otokita
Facebook おときた駿
編集部より:この記事は都議会議員、おときた駿氏のブログ2014年10月4日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださったおときた氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。