私はなぜ保守主義者ではないのか

池田 信夫

駒崎弘樹氏が「『強くて優しい』新しいリベラル」について語っている。リベラルを自認する人々も、集団的自衛権や原発をめぐる朝日新聞などのサヨク的な論調にはついていけないようだ。大事なのはイデオロギーではなく、現場の問題を解決することだ、という論旨には同感だが、それがなぜ「新しいリベラル」なのだろうか。


もちろん政治は学問ではないので、多数派になることが必要だ。細かい主張の違いを超えて「リベラル」という旗印で結集できるならそれもいいが、そもそも日本にはリベラル勢力が存在しない。しいていえば、自民党の宏池会や民主党の一部にそれらしい政治家がいたが、今では全滅に近い。

といっても、今の自民党みたいな既得権を守ること以外に何の政策もない党がいいというわけではない。それに対する対抗軸としては、社会主義のなごりのある「リベラル」という言葉をやめて、自由主義という言葉を使ってはどうだろうか。

ハイエクもliberalという言葉が誤用されていることを嘆いたが、libertarianという造語もきらい、old Whigと自称した。これは「リベラル」ではないが、イギリスの保守党(Tory)のようなconservativeでもなく、今はなくなった自由党のことである。この点を彼は、有名な「私はなぜ保守主義者ではないのか」という論文で書いている。

Since the development during the last decades has been generally in a socialist direction, it may seem that both conservatives and liberals have been mainly intent on retarding that movement. But the main point about liberalism is that it wants to go elsewhere, not to stand still. […]

So far as much of current governmental action is concerned, there is in the present world very little reason for the liberal to wish to preserve things as they are. It would seem to the liberal, indeed, that what is most urgently needed in most parts of the world is a thorough sweeping away of the obstacles to free growth.

トーリーの支持基盤は貴族や大地主であり、その既得権を守ることが彼らの目的だった。それに対してブルジョアジーを代表したホイッグは、バークのように貴族の特権には反対し、フランス革命に反対する一方、アメリカ独立革命を支援した。

この意味での自由主義は「自由放任」を意味するものではない。ケインズも自由党員だった。今の日本に必要なのは、いい意味でも悪い意味でも保守政党である自民党に対して、「空気」を読まないで既得権を排除する自由主義の政党ではないか。