途上国では教育が先か、雇用が先か

松本 孝行

マララ氏はテロ支援者―教育先行はテロを生みだすという投稿を站谷さんがされていて、少しTwitterでも意見交換させていただきました。非常に面白いし、考えさせられるエントリーだと思います。マララさんがテロ支援者かという話は置いておいて、私もNPO系の人たちの話をよく聞いていて、エントリーの本筋に理解する部分があります。

それは途上国支援において教育よりも雇用が先、という結論を出しているNPOが多いということです。もちろん、教育に力を入れている団体も多いですが、教育から雇用に切り替える団体が多いように思います。


例えば教育から雇用に切り替えた例として、かものはしプロジェクトと言う団体があります。社会起業家界隈では非常に有名な団体ですが、ここはそもそも児童買春を防止しようというミッションを持って立ち上げられた団体です。大学生だった創立者メンバーが最初はカンボジアの児童買春を防止するために、児童買春にあった少女たちに教育を与えることで、よりよい生活をしてもらおうと考えていたそうです。

しかしそこから現在では農村支援に移ったと聞いています。これは江戸時代に日本で自分の娘を遊郭に売り渡していた農家が多かったのと同じ構図です。農村で働く人たちが貧困だから児童買春は起こるものだという結論に至ったそうです。そこから農村部で児童買春をしなくても食べていけるように、農村支援をするようになったといいます。つまり教育から雇用に切り替えた例だといえるでしょう(かものはしプロジェクト)。

マララさんの教育が必要という理念自体には問題はないと思いますが、その教育を施すためにも地盤がしっかりしていないといけないということではないかと思います。教育が全くダメというわけではなく、優先順位の問題です。昔の日本も戦後焼け野原から立ち上がっていくとき、多くの人達は教育を優先して受けたわけではなく、ひたすら働いて高度経済成長を果たしました。中卒の若い男子は金の卵と言われてもてはやされていたくらいで、「教育が大事」と言って進学を進める人はいなかったでしょう。そもそも教育を受けるために進学するお金がなかった家庭が多かったのですから。

その後、雇用が安定して多くの人が高度経済成長に乗る形で中流層となり、多くの家庭でより良い教育を受けさせるためのお金を得ることが出来ました。そして大学進学率も上昇し高度な教育を受ける事ができるようになり、現在のように望めば誰だって高度な教育を受ける事ができる社会になっています。アメリカではティーチ・フォー・アメリカという団体がアメリカ国内での教育格差是正のために教育困難地域に大学を卒業した人たちを送り込む活動をしています。これも豊かだからこそ出来ることでしょう(日本にもティーチ・フォー・ジャパンが近年設立されています)。

NPOの活動などを見てもやはり教育というのは豊かな雇用と経済があってこそ成り立つ、と私も考えているので站谷さんの意見の根幹には賛成です。ただ、雇用より教育と言っても簡単ではないということは注意しておかねばなりません。ある農村支援をされていたフェアトレード商品を扱う団体から聞いた話ですが、違う農村から襲撃を受けたことがあると話していました。農村支援に入っていた村は生産性も上がり豊かになったけれども、そのとなりの村は貧しいままだったのです。ある夜、となり村が武器を持って襲撃し略奪していったそうです。命の危険も感じたとおっしゃっていました。

NPO系の活動はどうしても草の根活動なので、経済的な豊かさや雇用を生み出すことで色々と歪みを生むこともあるようですから、雇用を生むことが教育より先だと言っても、簡単なことではないでしょう。しかしそれでも発展途上の国々では教育よりも雇用を優先するほうが先であると私は思います。最低限、初等教育を受けることすら出来ない子どもも世界中にはたくさんいます。そういった子どもたちに教育を届けるためにも、落下傘的に教育を施すのではなく、教育を施せる経済・雇用という基盤を作らないと行けないのではないでしょうか。