GEPR編集部
(その1)から続く。
写真1 シンポジウムの光景
ゼロリスクを求める日本の世論
池田(アゴラ)・日本の公害運動のパイオニアである、リスク論の研究者である中西準子さんが、1981年に「リスク許容度」という言葉を日本で初めて使ったとき、反発を受けたそうです。災害で「ゼロリスク」はあり得ない。ところが日本では、リスクゼロを誰もが求めるのです。大規模災害で「人が死ぬ」ことは避けられず、心理的には厳しいが想定しないともっと大変なことになるということを分かった方がいいのではないでしょうか。
池田(常葉大)・行政としては税金を掛けた分だけ安全になったと住民に周知させたいのでしょう。人が亡くなる可能性はあると言いにくいのです。ただし「リスクゼロ」という思い込みは、誤った認識を生み、安全度を下げなかったり、リスク感覚をおかしくしたりしてしまいます。
リスクの分析では場所ごとに考える必要があります。岩手県では、震災後の防潮堤を住民の議論の中で、当初計画よりで下げたところがあります。防潮堤を巨大にすれば、津波からの安全性は高まりますが、漁港では船の出入りに支障が起きます。
またリスクの理解で誤解があります。国が想定する被害の想定は広域的であって、局所的ではないのです。想定した高さ以上の津波は来ないのかと言われればそんなことはありません。地震自体は小さくても、震源の場所などの影響で、津波が高い可能性はあるのです。 どんなデータも「大丈夫」と考えてはいけません。
土地の記憶を防災で大切にする
畑村・「命塚」という、津波から避難する土塁が昔からあります。浜松の方でも現代的な、10mほどの建築物を見ました。静岡県では、多くあるのですか。
会場の参加者・海浜部では津波に備える建築物に避難所を指定しています。ただし、たくさんあるわけではありません。
畑村・静岡の沿岸部を津波の視点で見たのですが、津波の逃げ場所はそれほどないし、三陸にあった津波の恐怖をここの人たちは持っていないのです。宮城県の石巻市は、過去に津波災害の経験がなかったのですが、それが一因で東日本大震災では人々が逃げるのが遅れ被害が増えました。静岡の場合には、地形が平らですから、その想定も必要ですね。
池田(常葉大)・静岡は、震災の震源が、駿河湾の内部にあると思われ、津波到着までに時間がありません。巨大地震の場合は5分間ぐらい揺れていますが、沿岸部には5分から8分程度で到達します。逃げる余裕がありません。震源域が近いという事は時間がないだけでなく、揺れが大きいということもあり、建物も道路ももっと壊れます。東日本大震災の場合には震源が離れていたので、20-30分程度の時間がありました。だから東北から学ばなければならないのですが、経験をそのまま持ってきてはいけないのです。
後藤・新しい情報は、今の防災に活かされています。昔は揺れが収まってから避難するという事だった。今、官民一体となって清水港のBCP(事業継続計画)を作っています。作業中に南海トラフ地震が起きた場合、揺れが収まってから逃げても、逃げている間に津波が来ている。揺れている間に逃げる避難経路を考えています。
畑村・昔の人の経験は大切と言うことです。地名に危険なところが残されています。また自然災害は、その場所を避けて街や集落がつくられています。ところが、最近になって、スペースがあるということで、そうした何もない場所に公共施設が建てられたことがあります。そういうことを知った方がいいですね。
「災害」を減らすために必要なこと
池田(アゴラ)・会場からも、質問やコメントをいただきたいと思います。
会場参加者1・私は牧ノ原市から来ました。ここの防災対策は行政が作ったのではなく、住民が考えて計画を作っています。そこで感じたことは、当事者意識があると、人の意識は変わっていくということです。牧ノ原では防災訓練に参加している人の目つきが最近違ってきました。
池田(アゴラ)・静岡県の場合は地震が目の前に迫っているから、自分たちで自分の身を守る意識があるのでしょう。そうすると、リスクゼロが非合理的であることに段々と気が付いてくるのでしょう。そのプロセスは非常に大切ですね。
会場参加者2・高齢化率45%の地域で防災計画作りを担当しています。有事の時には、まず逃げろとしていますが、同時に街作りのための絆も大切にしようとしています。高齢者が中心の街の場合、どのようにすればいいのでしょうか。
池田(常葉大)・「津波てんでんこ」という言葉が三陸にあります。津波が起きた時には「てんでバラバラに逃げろ」ということです。これは人を身捨てて、蹴飛ばしてでも逃げろということではないのです。津波が起きたら、近所のおじいちゃん、おばあちゃんに声を掛ける時間がない。家族や地域で事前に話し合い、逃げ方、落ち合い方について決めておく。つまり見捨てるではなく、事前準備とセットになっている意味なのです。普段の準備が大切です。
後藤・そういう準備は、訓練の方法、事前のシミュレーションの方法を考えればいろいろできると思います。別々に逃げてどこかで落ち合う。一人で歩けないお年寄りがいる場合は、そこを通る経路の人が、逃げながら寄るなどです。
自衛隊は災害派遣だけの訓練をするわけではないのですが、学校や部隊、そして日々の業務で繰り返し訓練と教育を受けます。ですから、災害の時にも、自然と統一的行動ができるんです。東日本大震災の時に、私は自衛艦隊である隊司令でした。震災後に、津波が迫っている映像を見て1時間後には約8割の人員が持ち場に戻って、出航できる体制ができたんです。
池田(アゴラ)・防災訓練で平時から気合いの入るやり方はないでしょうか。
後藤・気合いの入らない訓練は、「訓練のための訓練」になります。いつも同じ所から同じ所へ行く訓練ではなく、実際に地震が起きた時には天井が落ちるかもしれない。人が倒れているかもしれない。そんな変化の状況を想定して、訓練内でつくります。人数を確認するにはどうするか意識するようになる。自分がやらないといけないものを見つけさせると、多少気合いが入り、気づきも得られるのではないでしょうか。
池田(アゴラ)・日本では、有事のこと自体を考えることがタブーになっているように見えます。朝日新聞が今、たたかれていますが、平和と唱えていれば、「良い人」、「ヒューマニスト」だという、おかしな錯覚ができてしまったように思えます。
祈っていれば安全がくるというのは幻想です。今回のシンポジウムは、津波で約1万5000人の方が亡くなっているのに、その原因を分析せず、原発事故にばかり関心が向いています。第一セッションの議論で、地震全体のリスクが日本でいかに大きいかを改めて思い起こしてほしいと思います。
【最後に、「あなたの住んでいる場所で、地震が起こると思いますか」という問いが示された。74.8%が起こると答えた。】
(取材・編集 石井孝明 アゴラ研究所フェロー)