同性婚者に神の祝福を与えた神父 --- 長谷川 良

アゴラ

21世紀に入り、同性愛者の権利は益々強調され、時代は法的に同性婚の認知に向かって流れ出している。じっくりと考える時間もないうちに、同性愛者は市民権を得ようとしているのだ。

米アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)は10月末、米誌ブルームバーグ・ビジネスウィーク(電子版)への寄稿で「私は同性愛者であることを誇りに思う」と述べ、同性愛者であることを公の前に認めた、というニュースが流れたばかりだ。


一方、潘基文国連事務総長は3日、ウィーンの国連内で同性愛者の歌手で今年デンマークのコペンハーゲンで開催されたユーロヴィジョン・コンテストの優勝者コンチタ・ヴルスト(Conchita Wurst)さんと会見し、国連職員、外交官、メディア関係者の前で「全ての人は差別されることなく、同じ基本権利、価値と尊厳を享受している。この根本的原則は国連憲章と世界人権宣言の中で明記されている」と述べることになっている、といった具合だ(「欧州ソングコンテストの勝利者?」2014年5月15日参考)。

世界12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会は先月5日から19日まで、特別世界司教会議(シノドス)を開催し、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」という標題を掲げ、家庭問題について集中的協議を行ったばかりだ。そこでは離婚・再婚者への聖体拝領問題と共に、同性愛者への是非問題が焦点となったことはこのコラム欄でも報じた。

同性愛者問題では「教会(家庭)の一員として歓迎するが、容認できない」という意見が多数を占めた。特別シノドスの最終報告書の内容は来年10月に開催予定の通常シノドスで継続協議される。教会は同性愛問題に対する最終的見解を決定するまで1年間の時間を得た、と受け取られた。

しかし、時の流れはそんな悠長なことを許さなかった。同性愛者問題で世界の司教たちが頭を痛めている時、スイスのカトリック教会クール司教区の神父がレスビアンの同性婚者に神の祝福を与えた、というニュースが飛んできたのだ。

神父は「よく検討した末、同性婚に神の祝福を与えることを決定した。現代は動物、自動車、武器すら神の祝福を受ける時代だ。なぜ神と共に一緒に人生を歩もうとする同性婚者に対する神の祝福を拒否できるだろうか」と述べている。

神父は祝福前に教区関係者らに相談したが、その結果は「神父の決定を受け入れる」ということだった。クール司教区側は神父の行為を調査する予定だが、「神父が罰せられることはないだろう」というのだ。

世界の司教たちが「教会の教えと同性婚」問題を考えている間に、現場の聖職者が同性婚者に神の祝福を与えたわけだ。時の流れは、聖職者の現場では司教たちが考えているよりも早く流れ、もはや止められなくなってしまった、といった感じだ。

ところで、事の是非は誰々さんが言ったから正しい、反対する、といった問題ではない。最近の特徴は、「自分は正しいとは思わないが尊重する」と語る人が増えていることだ。一種の「寛容の証明」だ。頑迷とは思われたくない、リベラルな思想の持主といったイメージに拘る人が増えてきた。だから、「それは間違いだ」とはっきりと自身の信念を表明する人は次第に少数派となってきた。

また、現代の同性愛問題では法的論争が先行している。その視点から言えば、同性婚者にも通常の婚姻者と同等の権利がある、という結論が出てくる。それに反対することは容易ではない。しかし、同性愛問題では法的論争ではなく、その是非を問う家庭観、人生観、世界観などの哲学論争が先ずあってしかるべきではないか。人権に基づく法的論争が同性愛者問題を牛耳っている現状はその本質問題を見失う危険性がある。すなわち、同性愛、同性婚は人間のあり方に合致しているか、という根本的な問いかけが忘れられる危険性だ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。