先月の「G型大学とL型大学」という記事には大きな反響があり、ニュースにもなった。これは「L型大学」のイメージが、私立文系の大学によく当てはまるためだろう。ただニューズウィークにも書いたように、もっと本質的な変化は日本社会そのものがG型とL型に分岐することだ。
本書のG型の話は、目新しくない。世界の企業は「オリンピック」を闘うので、国内で1番になっても意味がない。すり合わせの「現場力」を自慢するのはナンセンスで、必要なのは戦略を立案・実行する「本社力」である。G型の人材に長期雇用なんか必要なく、年俸制で自由に会社を渡り歩けばいい。
しかしアップルやグーグルの成功体験をいくら聞いても、日本の普通の会社には役に立たない。労働人口の8割を占めるのは、L型の流通・サービス業だからである。G型産業の雇用は増えないので、これからの日本の中心はL型だ。役所も経済学者もL型には関心をもたないが、真のイノベーションはここにある。
L型のキーワードは、集約化である。労働人口が急速に減少する日本で、地方は特に働き盛りの労働者がいない。薄く広く分散する国土構造を転換して、インフラ投資をコンパクト・シティに集中し、新陳代謝を促進する必要がある。
L型産業の問題点は、労働生産性が低いことだ。1人の労働者が毎日何百台もiPhoneをつくれる製造業とは違って、1対1のサービス業の労働生産性が、製造業より低くなることは避けられない。それを改善するためには、ITを利用するとともに、労働移動を促進するしかない。
これは日本人が想像するほど大変ではない。効率の高いL型産業は、POSを使うコンビニやタッチパネルで注文する居酒屋のように、ITで脱熟練化されたからだ。これが雇用が非正社員に置き換わった原因である。L型産業のイノベーションでは、日本は世界の最先端といってもよい。
本書は安倍政権の「地方創生」の教科書として読まれているらしいが、L型産業はバラマキ型の「地方活性化」とは似て非なるものだ。実際に著者のいうように集約化と効率化を進めると、大都市への人口集中が進むだろう。それによって政治家や自治体は困るかもしれないが、労働者は困らない。60年代までの高度成長は、人口集中によって実現したのである。