地銀「再編」の時代 --- 岡本 裕明

アゴラ

世の中に金融機関と名のつくものがこんなにあるものか、と改めて見るとびっくりするものがあります。いわゆる預金の受け入れ、貸し出し、為替取引をする金融機関の場合、大別して普通銀行、信託銀行、共同組織金融機関という聞きなれない組織の三つに分別されます。銀行は更に都市銀行、第一地銀、第二地銀、外銀、ネット銀行などとなり、協同組織金融機関は信金、信組、労金、農協、漁協となります。


第一地銀は県のトップ、ないしトップクラスの銀行で64行、第二地銀は第一地銀ではないけれど地域に密着した銀行で41行あります。信用金庫はもっと営業拠点が狭く、会員の出資による一種の非営利組織で271行あります。私の実家もある信用金庫に僅かながら出資しているのは商人だった名残でありましょうか?

こう見ると日本中、銀行だらけなのに案外、一般の方々が利用するのはメガバンクだと思います。理由は全国どこにも支店があって、お金の出し入れも便利だから、という事でしょうか? とすれば、都市銀行を除いた金融機関がよくここまで持ちこたえてきたと思うと同時に少子高齢化が進み、資本の集約が進む日本の経営において地方のや地域の銀行が果たせる役割も徐々に小さくなってもおかしくありません。事実、90年代から2000年代にかけて数多くの地銀が経営破たんしたことを考えると経営体力的には何かの力がかかるとポキッと折れやすいとも言えそうです。

それゆえに二件続いた地銀の経営統合話、横浜銀行と東日本銀行、肥後銀行と鹿児島銀行のケースは金融庁が背中を押す再編のモデルケースとなるのでしょうか?

先日某都市銀行の支店長と談笑していた時、「今は預金して頂くより借りてくれる人を探すことが大事」と述べられたのですが、改めてそういわれると銀行は「貸してなんぼ」の世界ですからいくら低金利とはいえ、貸出比率をもっと上げないと不都合が生じます。その中、地銀、信金は顧客の経営基盤、成長性を考えるといくら一定の預金残高を持っていたとしても先行き楽観視できません。いまだに信用金庫が顧客を連れて○○旅行を企画していますが、参加する方にしてみれば「歳を取るとなかなか旅行にも行けないから銀行の前からバスで連れていってくれるのは楽」と聞いて、この経営はフローの経営ではなく、アセットの経営だな、と一人、納得してしまった次第です。

一方で日経に静岡銀行の頭取がこの10年で融資残高を4割増やしたと記事がありますが、医療介護、環境エネルギー、農業、事業承継、海外進出支援の5分野を成長エリアとして専門家を派遣してまで徹底的に攻めていることがその主因であるようです。

日本では誰でも知っているあの会社が分かりやすさと垣根の低さで評価される一方で地元で根付いているところは割と顧客が常連で限定されていたりします。しかし、減っているとはいえ、日本の人口密度を考えれば地域内経済圏をつくることも可能でしょうし、その地域の特性から外に責める産業を育成することも金融機関の重要な役割であります。地域通貨というのも話題になったことがありますが、才覚ある人や中小企業を掘り起こし、成長させる努力が金融機関に求められる時代になったと言えるのでしょう。

銀行はたくさんの情報を持っています。その情報を加工し、成長分野を引っ張り上げるぐらいの立ち位置の変化は必要でしょう。勿論、金融庁から銀行主導で貸し込んだ資金が不良化したらとんでもないお目玉を食らうのでしょうからそこはうまく立ち回らねばなりませんが。待ちの姿勢が多い銀行がもっと攻める経営になるためにも地銀再編という引導をちらつかせて緊張感を高めなくてはいけないと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年11月13日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。