結婚を断念し、神に生涯を捧げたローマ・カトリック教会の修道女たちの生き方を少し紹介する。
▲ドリス・ヴァーグナーさんの本「Nicht mehr ich」 Edition a社出版
最近話題となった修道女といえば、イタリアのシチリア出身の修道女 Cristina Scuccia さんだ。彼女は今年6月の Casting-Show で優勝した26歳の修道女だ。“修道女の歌姫”としてその名をなした。彼女の最初のアルバムが10日、ユニバーサルから発表されたばかりだ。アルバムの売り上げは慈善活動に寄付するという。来年ウィーンで開催予定のユーロヴィジョン・コンテストに参加する予定だ。イタリア司教会議関係者は一時期、修道女の歌に苦情を言っていたが、今は全面的に支援しているという。
イタリアの修道女の話は明るいテーマだが、ドイツ人の修道女ドリス・ヴァーグナー(Doris Wagner)さんの話は心が痛い。彼女はブレーゲンツの修道院内で聖職者によって性的虐待を受けたのだ。その体験談をこの程、本にまとめて出版した。
修道院生活を願い、19歳の時、修道院に入ったが、そこでオーストリア人の聖職者から暴行を受けたのだ。本のタイトルは「もはや私ではない」(Nicht mehr ich)だ。オーストリア日刊紙エステライヒは9日日曜日版でその本を紹介している。
2人の修道女の話は最近のことだが、ローマ・カトリック教会の修道女といえば、やはりマザー・テレサを思い出す読者が多いだろう。貧者の救済に一生を捧げ、ノーベル平和賞(1979年)を受賞し、死後は、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の願いに基づき2003年に列福されたが、テレサの内面生活は、決して穏やかではなかった。
テレサは生前の書簡の中で、「私はイエスを探すが見出せず、イエスの声を聞きたいが聞けない」「自分の中の神は空だ」「神は自分を望んでいない」といった苦悶を告白し、「孤独で暗闇の中に生きている」と嘆いている。
テレサはコルカタ(カラカッタ)で死に行く多くの貧者の姿に接し、「なぜ、神は彼らを見捨てるのか、なぜ、全能な神は苦しむ人々を救わないのか、どうしてこのように病気、貧困、紛争が絶えないのか」等の問い掛けを持ったはずだ。それに対し、神、イエスは何も答えてくれない。神が愛ならば、なぜ、自身の息子、娘の病気、戦争、悲惨な状況に直接干渉して、解決しないのか。マザー・テレサの告白は、「神の不在」を激しく問いかけるものだった。
当方にとって忘れることができない修道女といえば、ポルトガルのファティマ(首都リスボン北約130キロ)の聖母マリア再臨(1917年)の生き証人、修道女ルチアだ。聖母マリアから託された内容を生涯忠実に守っていった修道女だ。ルチアの話は「ファテイマの予言」(2010年5月8~10日参考)の中で詳細に記述したので、関心のある読者は読んでみてほしい。
当方はルチアが生存していた時、彼女と会見しようとコインブラのイルマ・ルチア修道院を訪れたが、他の修道女に拒まれた。バチカンはルチアが外部の人間と接触し、ファティマの第3の予言内容を流すかもしれないと恐れ、彼女を修道院に隔離していた。ルチアは生涯、予言内容を内に秘めて生きていったわけだ。
ルチアと似た生涯を歩んだ一人の修道女の話を聞いたことがある。イエスが毎晩、修道女の夢の中に現れ、自身の生涯を語ったが、その内容は教会のそれとは全く異なっていた。修道女が上司に報告したところ、彼女は修道院に隔離され、外部とは接触できなくなったというのだ。
当方は「修道院・出家時代の終わり」2013年11月5日)というコラムの中で、「世界的に毎年3000人以上の修道僧、修道女が修道生活から離れていく。特に、修道女の離脱件数は多く、2001年から11年の過去10年間で79万2100人だった修道女数は71万3000人と約10%急減している」と書いた。
修道女らの生き方は通常の現代女性たちのそれとは違うかもしれない。修道女たちは神に人生を捧げ、他者の為に生きることに幸せを見出したが、多くの試練、苦難に対峙せざるを得なかった。
なお、フランシスコ法王は7日、イタリアの修道院関係者に、「予言者的証人として生きてほしい」と激励し、修道僧、修道女が信者たちの手本となってほしいと訴えている。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年11月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。