私がアドバイザリーをしているギャンブル依存症患者の支援団体(「ギャンブル依存症問題を考える会」)がある地域のパチンコ業界に活動支援の依頼をしたところ、「おたくの団体に『ギャンブル』と名称がつく限りはダメ。パチンコは遊技ですから。」と斜め上の視点からバッサリと切られてやや炎上しています。
皆様の理解の促進のために論点を整理しますと、法律上パチンコはギャンブルではなく遊技とされておりまして、パチンコ店は客に球を有料で借しだして遊ばせているだけとされています。
それがどうして実態がギャンブルになっているかというと、景品として純金が提供されておりまして、1. 客は球が増えたらその球を純金景品と交換して、2. 純金を換金所に持ち込んで現金化し、3. その景品が景品問屋を介して店に戻る、という仕組みになっております。これは通常ホール、換金所、景品問屋の三店が絡むので「三店方式」と呼ばれているわけですが、店としては単に換金性のある景品を提供しているだけでその後の取引に関与していないからギャンブルではない、という建前になっています。図にすると以下のような感じです。
パチンコ業界からすると「我々はギャンブルである」といった瞬間に刑法との関係で全ての経済活動を止めてしまわざるを得なくなるので、このような対応は理解できるとこではありますが、少々杓子定規も過ぎると感じざるを得ません。現実にパチンコにはまったギャンブル依存症患者と向き合う立場にある「考える会」の側が怒るのも当たり前の話ではあります。とは言え、パチンコ業界からすれば仕方ない、というのも事実で、これは政治が生み出した悲しいすれ違いという側面があります。ここで我が国で数少ないまともなギャンブル業界の専門家である木曽崇氏が間に入って、複雑に絡んだ糸を解きほぐそうとしてくれています。
木曽サンには感謝するとともに、今後の顛末が気になるところですが、それにしてもこうなってしまう原因はどこにあるのかというとそもそもの制度にあるわけですよね。「パチンコはギャンブル」というのは実態を見れば明らかなのですが、それをずっとギャンブルという枠では捉えずに見て見ぬ振りをして来た政治の方にむしろ問題があるわけです。だからと言って官僚を攻めるのもお門違いと思っていまして、上に説明したような無理な法解釈は警察官僚が「パチンコの換金がヤクザのしのぎとして使われている」という実態と向き合う中で業界浄化のために無理繰り生み出したもので、彼らとて望んでこのような仕組みを作ったわけではありません。
おかげで換金利権からはヤクザは一掃されたわけですから、こうした制度運用も当時は現場の知恵と賞賛されるべき側面もあったように思えますが、今となっては単に実態を反映していない規制となっているわけです。ちなみに法務省は三店方式を刑法との関係で合法と認めたことはありません。
こうした歪みを根本的に解決するにはやはり政治の力が不可欠なわけですが、カジノを推進したり税金をかけようとしたりして刑法や三店方式の問題を指摘する政治家はいても、ギャンブル依存症という現実に起きている問題のために汗をかいてくれる政治家が「みんなの党」の薬師寺みちよ議員だけというのは本当に悲しく、また怒りを覚えざるを得ません。
そしてみんなの党も解党してしまいましたし。。。。「政治はどこを向いているのでしょうか???」と思わず言いたくなるわけですが、ここでせっかく選挙があるわけですから、各党はカジノの問題も含めて「ギャンブル法制とパチンコ」という問題に向き合って欲しいと考えています。そのため冒頭の「考える会」を通して各党にアンケートを送ることにしました。どのような答えが返ってくるかは、またこのブログで紹介したいと思います。
政治の力を期待しております。ではでは今回はこの辺で。
編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2014年11月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。