心もとない、産経の前ソウル支局長公判対策!

北村 隆司

延期されていた産経ソウル支局長の裁判もやっと開かれたが、報道された産経側の弁護士の論調が事実だとすれば、その公判準備が心配でならない。

と言うのは、今回のケースは被害者を「報道の自由と民主主義」とし、加害者を「韓国の独裁反民主制度」であるとして法廷維持を図るべきところを、産経側の弁護士は、朴大統領が被害者で加藤前支局長が加害者だと言う韓国側の起訴事実をまともに受けて、事件をアドホック(個別具体的な事実に限定する)に矮小化させて権力と報道の自由と言う普遍性を無くし、国際的な関心を薄れさせる韓国の側の戦術に引っかかた形に見えるからである。


報道の自由を含む表現の自由は、1976年の市民的及び政治的権利に関する国際規約にも定められており、中でも報道の自由に敏感な米国では、1735年のゼンガー(Zenger)事件以来、1931年のニア(Near)事件までに多くの判例が積み重ねられ、特に報道機関による公務員の名誉毀損のについての「ニューヨーク・タイムズ社対サリバン事件」の米国最高裁判決(1964年)では、報道された情報が虚偽であるという理由だけでは公人の名誉毀損は成立しないと言う米国の名誉毀損法の基礎を作った事実がある。

この判決文は「公的論点についての論争は制約を排し、政府や公務員に対する激烈で、痛烈で、時には不愉快な程鋭い非難を含むのは当然である」と指摘し「表現の自由とは、当人が聞きたくないことを言う権利である」と言ったジョージ・オーエルの格言を支持した形になっている。

この判決は更に続けて「誤った記述は自由な討論には避けられないものであり、もし表現の自由が生き残るために『息づく空間(breathing space)』を必要とするならば、その誤りは保護されなければならない」と述べ、加藤ソウル支局長の報道内容が例え事実でなくとも名誉毀損には当たらないことを明確に指摘しただけでなく、「そもそも公の地位にある者は批判を浴びることが予測できる事を考えれば、名誉毀損という形で救済を与える必要は無い」と断じている。

米国政府が産経のソウル支局長の裁判について「言論・報道の自由を阻害するという観点から韓国政府に懸念を伝達した」事実は正にこの事を指しているのである。

米国政府は又、韓国の法制度には、政治指導者を批判した者が罰せられ、取材活動を抑制する恐れがあるという懸念と加藤前支局長に対する出国禁止措置の長期化は人道上の観点から憂慮していると言う事実を韓国政府に伝えたと報道されているが、産経の弁護団は米国政府のメッセージを理解せずに「今後の公判で朴大統領の意思について確認する必要がある」とか「加藤前ソウル支局長は、朴大統領を個人的に誹謗する目的や意図なかった」等と言う枝葉末節的な見解を述べたと知ると、産経新聞の公判戦略には益々不安を覚える。

何故なら、慰安婦問題での国際世論戦争で日本が完敗した大きな理由は、強制連行の事実は無かったと言う日本特有のアドホック(個別具体的な特定の目的)な細かな事実に拘り、人権侵害と言う大きな普遍的なテーマを忘れて仕舞った事にあるからだ。

そもそも、韓国を進んだ近代民主国家と考えているとしたら、大変な誤解である。

韓国の統治形態はアジアのナイジェリアと言ったらピッタリする独裁専制体質の国家で、韓国の歴代大統領の末路はナイジェリアの諸大統領の末路に似て、暗殺、追放、逮捕、有罪の繰り返しで、1948年に就任した李承晩(初代~3代)大統領は亡命に追いやられ、次の第4代の尹潽善大統領も軍事クーデターで追放され、第5~9代の朴正煕大統領は暗殺され、その後を継いだ10代の崔圭夏大統領は在任中にクーデターによって軍部に政権を奪われ、第11~12代の全斗煥、第13代盧泰愚、第14代の金泳三、第15代の金大中各大統領は、退任後に本人か親族が腐敗容疑で逮捕・有罪の運命にあって服役し、第16代の盧武鉉大統領も退任後すぐに自殺したが「収賄疑惑で逮捕が迫っていたこと」が自殺の原因だと言われている。

朴大統領の前任者の17代の李明博大統領も、退任後は刑務所に直行かと言う噂が流れた程で、在任中に幾人かの親族が腐敗容疑で逮捕されている。

ことほど左様に、独立後66年を経た今日でも、韓国は近代民主国家の経験は持てないでいる。

それに比べ健在なのは人治主義で、事後法を無視した親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定して親日派の土地を没収したり、戦時中の強制労働の賠償金と称して日本の存続企業に巨大な罰金を課したり、対馬の海神神社から「銅造如来立像」、観音寺から「金銅観世音菩薩坐像」を盗み、韓国で翌年逮捕された裁判でも「この文化財の日本への流出経路が明らかになるまで返還を禁じる」など、権力の思うが侭の「政治裁判」制度の君臨する未開国家である点もナイジェリアと同様である。

このような国の成り立ちの背景には、時の為政者の政治的権威に屈服し「権力者と対峙したくない」という韓国特有の大新聞の体質がある。

それに対し、米国の権力の不正に抗したペンタゴン・ペーパーズ事件の判決から読み取れる事は「政府にとって都合の悪い報道を制限することは全体主義への第一歩であり、権力による報道への介入によって報道の自律性を奪うことがあれば、その国の民主主義は危機的な状況になる」と言う明確なメッセージである。

一方、事大主義思想と縁故主義の蔓延る韓国の権力に対する報道の自由の考え方は先進各国とは全く異なり、政府報道官が日本人記者団の質問に対し「質問の自由にも限度がある」と不快感を露にするかと思うと、本来なら韓国のマスコミが大騒ぎして立ち上がらなくてはならない問題にも拘らず、ある韓国人記者は「韓国の大統領は家元首であり、日本における首相よりも大きな権力がある事からも、その権威を傷つける私生活の疑惑を報じた産経側に問題がある」と言い出す始末である。

慰安婦問題の国際情報戦では、アドホック(個別具体的な限定的事実)にもとつき「強制連行を否定する」事に固執した日本の論議は、「人権無視、婦人蔑視を改めない日本の象徴」と言う論戦に切り替えた韓国に完敗状態が続いている。

この負け戦の先頭に立った産経は、加藤前ソウル支局長による大統領の名誉毀損と言う些細な問題は無視して、今回こそ韓国の非民主的権力の横暴で「報道の自由が侵害された」と言う本質的な問題に的を絞って闘うべきである。 

韓国の非民主性の特徴の一つは、元文化体育観光部長官が「盗難略奪文化財は返還すべきだ」と言う原則論を明らかにすると、反日で固まる国内世論に袋叩きにされるなど、自分たちに不利であれば、いかなる合理的な理由があっても一蹴してしまう利己的な風土があり、ここには、民主制度の意識が存在する余地はない。

これでは、中国の習主席が言う「中国政府は法律に基づき、市民の言論の自由やメディアの権益を保護している」と言う主張と何ら変ることなく、ロシアの報道の自由侵害を批判した西側に記者に対して、ロシア記者が「ロシアにも西側同様の報道の自由は保障されている。異なるとすれば報道した後の処遇だ」と述べた当たりは、皮肉とユーモアがあるだけ韓国の報道より遙かに上等だ。

司法上のデユーデイリジェンスの存在しない韓国で一番恐るべきは、欧米で自国の評判が悪いと知ると韓国司法当局がすぐにでも加藤前支局長を放免する可能性や政治的な妥協を持ちかける可能性が否定出来ない事である。

それでは如何したら良いか?

幸い韓国の論議の殆どは、報道の自由はそっちのけにして在宅起訴が「国家の名誉」にプラスかマイナスかと言う自尊心や名誉を傷つけられることに極めて敏感な感情論で、海外、特に欧米から「よく見られたい」と言う願望の強さは異常であり、これが韓国の弱点ともなっている。

これを踏まえた私の提案は、韓国よりはましだとは言え、未だ言論の自由の理念的後進国の域を出ない日本には、サリバン事件やペンタゴン・ペーパーズ事件でニューヨークタイムズ紙を勝利に導いたFloyd Abrams弁護士のような、報道の自由の重要性を法的に又理念的に論議出来る人物は育っていない事を考えると、早急にAbrams弁護士を雇用し、米国では常識になっている被告人に不利な証言をした人物は法廷に証人として出廷を求めて尋問する被告人の権利をフルに活用し、朴大統領を法廷に喚問して詳しく事実関係を争う事である。

この審理の過程で、韓国の統治制度のいんちき加減が赤裸々になる事は火を見るより明らかで、これは「欧米にどのように見られているのか」には極端に敏感な韓国には耐えられない事である。

然も、この裁判を通じて韓国の基本的人権無視振りが明確になれば、慰安婦問題での韓国の二枚舌も明らかになり、産経の主張も国際的な信用を回復できるチャンスにもなる。

例えFloyd Abrams弁護士の雇用が難しくとも、米国には彼に匹敵する修正一条の専門家はたくさんいる。

韓国の法制度で外国人弁護士の弁護活動が制限される可能性は大だが、法廷外コンサルタントとして戦略を立てて貰うことを禁止すれば、改めて国際問題になる事は間違いなく、さすがの韓国でもこれは禁止出来ない筈である。

参照資料 :
上出浩 「合衆国連邦最高裁判例に見る20世紀中葉の「プレスの自由」観 ――ユビキタス時代における「プレス」の役割を求めて――」
James C Goodale 「Fighting for The Press – The inside story of the Pentagon Papers and other battles」
拙稿、アメリカ文明『デリケート・バランス』の行方  http://jacircle13.blogspot.com/2013/11/blog-post_3.html

2014年11月29日
北村 隆司