プラハで何を忘れてきたのか --- 長谷川 良

アゴラ

今回はかなり私的なことを書くが許してほしい。当方は最近、同じストーリーの夢を頻繁に見るのだ。若い時は日中の疲れで夢を見ることもなく朝方まで熟睡したものだが、年をとったせいか、夢を見る機会が増えた。夢をみるだけなら何も話題にすることではないが、ここ数年、同じような夢を見続けているのだ。同じ設定、同じ思いが湧いてくる夢を見続けてきたのだ。その度に、「また同じ夢をみた」とため息をつきながら、目を覚ましたものだ。


そこで今回、当方の夢に付き合っていただくことにした。当方はこのコラム欄で数回、夢について書いてきた。ポップ界の王(King of Pop)マイケル・ジャクソンが当方をネバーランドに招待してくれた夢を見た。当方はマイケル・ジャクソンの歌を知らないし、彼のファンでもなかった(「ちょっとフロイト流の『夢判断』」2012年10月22日参考)。また300年前に亡くなった皇帝レオポルド1世が登場してきた(「レオポルド1世が現れた」2013年6月29日参考)。その度に、このコラム欄で夢の解釈を試みた。

さて、今回の夢は何度も頻繁に出てくるという点で一度だけの夢とは違う。そしてその内容は酷似している。舞台は国際線のバス停、見つからない荷物、そしてプラハに行こうとしている、という設定だ。夢の中の当方には「早くしなければバスに遅れる」という焦る思いがある。

なぜ、同じような設定の夢を何度も見るのだろうか。当方は冷戦時代、プラハには何度も取材に行った。後日、大統領となったバスラフ・ハベル氏にも会った。ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵入を国連で批判した外相とも自宅で話した。チェコの民主化改革の原動力でもあったトマーシェック枢機卿とも3回ほど会見した。プラハは当方にとって冷戦時代の思い出が一杯詰まった中欧の都市だ。

しかし、夢には当方が会った政治家や友人は出てこない。夢の当方は荷物を整理してバスでプラハに行かなければならないが、荷物が見つからないので一生懸命に探す場面が出てくる。当方はプラハ取材では電車を利用し、バスでプラハに行ったことはない。しかし、夢ではバスでプラハに行こうとしているのだ。夢の中の登場人物は当方一人だ。

「プラハで何かを忘れてきたのだろうか」、「それともプラハで誰かが当方に会いたがっているのか」等、様々な解釈を考えてみた。

思い出すことは、チェコ共産党時代、その信仰ゆえに逮捕され、刑務所内で死亡した知り合いの若い信者のことも考えた。当方は冷戦終了後もその信者の墓を訪ねたことがない。墓の場所を聞き出して慰霊の祈りを捧げるべきなのか。

日本人女性が冷戦時代、チェコ人の夫と家庭を持つためウィーンで暫く住んでいたことがある。当方はその時、彼女と知り合いになった。数年後、彼女は家庭を持った直後亡くなった、と聞いた。その彼女が当方をプラハに呼び、何か伝えたいと思っているのだろうか。彼女の夫は再婚して子供もいる。そういえば、当方は彼女の墓をまだ訪れていない。

同じ夢を繰り返し見る度に「プラハに行かなければ」という思いが湧くが、これまで実現していない。しかし、近いうちに行かなければならないだろう。夢は当方にプラハに来るように告げているからだ。誰が、何のためか、現時点では残念ながら分からない。

このような話を書くと、「当方氏は変わっている」と、奇人扱いされる恐れが出てくる。奇人であることはほぼ間違いないが、狂人ではないから安心して頂きたい。いずれにしても、夢に意味が含まれている場合がある。頻繁に同じ設定の夢が出てくる場合、その夢には何かメッセージが隠されていると考えざるを得ないのだ。

新約聖書には、「神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊を全ての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」(使徒行伝2章17節)という聖句がある。当方は老人のように夢を見ているのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。