ヘイトスピーチに関して、実に考えさせられた出来事がある。
昨年の二月二十二日、竹島の日式典が行われる島根県の県民会館付近で、若手のカメラマンとベテラン風の笑顔のディレクターの二人組に話しかけられたのだ。
「韓国のテレビ局です。街宣車、どう思います? うるさいですよね」
確かに式典開始前の会場付近は異様な雰囲気に包まれていた。右翼が街宣車で押し掛け、「竹島は日本の領土だ!」などと大音量でがなり立てた。かと思えば韓国側の活動団体がバスで現れ、警官らにもみくちゃにされる風を演出して「独島はわが領土!」と叫ぶパフォーマンスを展開したのだ。
たまたまこの場に居合わせたところ、先の韓国メディアの人物から取材を受けたというわけだ。恐らく「うるさいです。迷惑してます」というコメントが欲しかったのだろう。「『竹島はわが領土』と叫ぶ右翼団体は、当の日本人からも嫌われている」と印象付けたかったに違いない。私はこう答えた。
「竹島を韓国が返さないから毎年こんな大騒ぎになる。早く返してくれれば静かになるんですよ。日本人は竹島に自由に行くことすらできない。今後、竹島の日を静かに迎えられるように、早く返してほしい」
こちらがそう答えると、「ああー、そうですか」と言って取材終了。ディレクターの指示でカメラマンは別の絵を撮りに足早に立ち去った。VTRは使い物にならなかったろう。やれやれと言った様子でその場に残ったディレクター氏に声をかけると、彼はこんな話をしてくれた。
「いやー、とにかくこれで一時間番組を作れと言われて……。でもこんな(右翼の街宣車が騒いでいる)のは一部だって良く分かっているんですよ。でも上は『とにかく日本が右傾化しているってのを撮ってこい』と言うから、困っちゃってね。私は在特会なんかも取材しているんですよ。彼らは『韓国がやるから俺たちもやるんだ』って言うけど、あれだって韓国のごく一部。普通の人は別に関心もない」
「日本だってそうです。今日も道一本入ったら会場付近だって静かなもんですよ。でも韓国はどうなんですか? 国旗破いたり、燃やしたりしてますけど」
「あれは元軍人の団体で、歳とって仕事がなくなった人たちがやっているだけ(笑)。若者はみんな笑ってますよ」
そうだったのか。
つまり日韓はお互いにお互いの極端な部分だけを見て、「あいつらはひどい」と言い合っている。歴史認識問題は確かに存在しており、その点で譲るつもりはないが、ことヘイトスピーチ(ヘイトアクション)に関しては、お互いの最も過激なところに反応しあっているにすぎないのも確かだ。
考えてみれば当然だ。あの様子を見て「日本(韓国)人はみんな超反韓(反日)だ」「あの国は常軌を逸している」と受け取るのは間違っている。日本で言えば一億人がひしめき暮らすなかで、ヘイトデモを展開しているのは千人にも満たない(在特会の会員はもっと多いようだが、実際にデモにまで足を運ぶ人は少ない)。
そんな小規模な会の存在を仰々しく取り上げ、ナチスと結び付けて国際ニュース化し、韓国大統領府にまで認識させたのは朝日新聞である。韓国紙などが朝日新聞を読むと知っていて、昨年あたりから何かと「『朝鮮人を殺せ』などと行進」「ヘイトスピーチが問題」と書きたてている。
「殺せ」「死ね」「ゴキブリ」などという言葉を、まともな大人は口にしない。日本の九九・九%が不快に思うのであって、人種差別以前の問題だ。対象がだれであれ、ネットでもリアルでも、この手のことを発信するのは人種や思想信条を問わず許されない。
「言葉は汚いが、ある種の感情を代弁している」「韓国がやるからカウンターをかましているだけ」と擁護する人は少しはいるかもしれない。確かに順序を考えれば韓国側の団体による日の丸炎上、首相のお面で土下座、生卵炸裂や「日本人を殺せ」などのヘイトアクションが先だ。たとえば時事通信の報道写真サイトには九七年八月に撮影された「橋本龍太郎首相の人形に火を付ける参加者」の写真が登録されている。結構前からやっていたのだ。
ネットの発達、韓国に対する関心の高まりで、この手の情報を画像付きで入手できるようになった。そればかりか、授業で児童たちに書かせた「日本を侮辱する絵」も以前からネットには出廻っている。韓国のネットユーザーの日本を敵視する書き込みもすぐに翻訳・転載される。こんなものばかり見せられては、「あいつらは一体何なんだ」と思うのも確かだ。それが一連の韓国本の発刊、購入に繋がっているのだろう。
北朝鮮が日本兵を模した人形を燃やそうが、犬に食わせようが、さほど怒りはこみあげてこない。またやっているな、とその程度だ。それが韓国だとカンに触るのは、「民主主義という同じ価値を共有している」ことを前提にしていたからだろう。
さらには韓国が現代やサムスンなど国際的活躍を見せるまでに成長した企業を持つ「(準)先進国」であり、世界的にもそう認識されているからこそ頭にくる。つまりそこそこまともな国だと思っていたからこそ腹が立つ(気になる)のだ。
だが日本側のヘイトを批判的に報じている朝日新聞や東京新聞は、これまで韓国側の行為を、同様に厳しく非難しただろうか。或いは「あまりに過激で市民からは支持されていない」と事実を伝えたか。答えは否だ。「反日感情が噴き上げた」(〇六年八月十五日朝日社説)などとまるでそれが韓国の国民感情の代弁であったかのごとく報じている。
なぜ朝日などはあの苛烈なパフォーマンスを「韓国社会でも異質な現象」「韓国の総意ではない」「ヘイト行為だ」と指摘しなかったのだろう。「過去、日本が悪いことをしたのだから仕方ない」と贖罪意識丸出しで粛々と受け止めたのだろうか。あるいは「首相が靖国に行く日本が悪い」か。もしこんな理由で「大目に見た」とすれば、それこそ韓国に対する蔑視である。
私がディレクター氏からそれを聞いて安心したように、日本で嫌韓がここまで膨れ上がる前に「韓国の市民団体の行為にはみな呆れている」との事実を強調していれば、日本人も幾分安心しただろう。日本側の「カウンター」的な行為にも厳しくなっただろうと思う。むろん、韓国側もそのような報道をするべきだ。もしそんな環境があったなら、一般市民の間では「お互い、過激な人たちには困りますね」と、相手の国に対する同情や共感さえ生まれたかもしれない。
今年八月六日付の「慰安婦問題を考える『日韓関係、なぜこじれたか』」との記事で、朝日新聞は自らの存在を消したうえで日韓関係を分析したため、全く意味のない記事になった。実際には朝日の影響は大きかった。たとえばアジア女性基金について、朝日は今でこそ「貴重な精神」と評価しているが、当時は「むしろ、不信をさらにかきたてる結果を招いてはいないだろうか」と書いていた(九六年六月六日社説)。何をきっかけに評価を変えたのか不明だが、このような記事が日韓間の感情を疑心暗鬼にさせてきたのではないか。
朝日は右派側の現象に自分たちは常に無関係か、高みから苦々しく見下ろすスタンスで批判を浴びせるが、実際には朝日がその現象を助長していることしばしばである。朝日新聞は「日韓関係改善を」と言いながら、なぜ関係が悪化するような材料を率先して取り上げてきたのだろうか。不思議でならない。
梶井彩子