日本人よ、打たれ強い「出る杭」となれ --- 岡本 裕明

アゴラ

私が若いころ乗っていた車は三菱ギャランで電動サンルーフ付きでした。当時「屋根が開く、しかも電動」というのが珍しくて皆を乗せてよくドライブに行ったものです。そんなクルマを売り出した三菱はその後、ヒットを続け、強い存在感を出していました。その車に乗る私も当時では珍しい自転車キャリアに自転車を乗せ走り回り、「変わった奴」と思われていた節はあります。


80年代初頭に一人でソ連に行くというのも無謀でちょっと変わっていると思われました。ですが、私にとって欧州とアメリカを見た次はアメリカの敵、ソ連を見ないわけにはいきませんでした。共産主義システムを大学で勉強したことも手伝ってか今では誰もいけない「ソ連」に行った経験を持つことができました。「レニングラード」という名前の街にはもう誰もいけません。ベルリンの壁ももう見ることは出来ません。が、私はその壁の間を数回、行き来し、その壁の持つ意味合いを自分の体験として持っています。

あまり人と違うことをすると逆に奇異の目で見られるばかりか通常の社会生活に問題があるのではないか、と思われた「事件」もあります。就職活動である東証一部上場の機械メーカーの最終面接後、その会社の人事部から私のゼミの教授に電話があり、「彼は赤か?」と確認の連絡があったとのことでした。教授は笑い飛ばしたらしく、その後、内定は頂戴しましたが。

日本は人と違うことをするのは基本的にダメと教えられます。幼稚園から人との協調を教え込まれ、小学校では整列、回れ右をピシッとやります。これは一部の外国からは奇異の目で見られているのですが、我々は北朝鮮のマスゲームと大して変わらない集団行動を取ることを小さい時から教え込まれているのであります。

女子学生がトイレに行くときは連れだって行くのもそう、「お前も付き合えよ」といって飲みから遊びに行くことまで強要されても断らないのは仲間はずれが怖いからでLINEで「KY」が出ないことだけを祈っているわけです。

ホリエモンこと堀江貴文氏が浮いていたのは彼の言動、発言、発想があまりにも奇抜で誰も予想だにしないことを次々としていったからであります。彼は正に出る杭であって、定石通り、打たれたわけです。

しかし、いつまでたっても大衆の流れに乗っかっていることを良しとすればあなたは絶対に変わることは出来ませんし、この国が変わることもできません。変わろうとすれば多くの反発や反感、批判に非難で根負けしそうになることも多いでしょう。それは「普通との戦い」であってそれを乗り越えてこそ、得るものが大きくなるのです。

自動車業界で変れないものの一つが車のボディの素材であります。今の鉄よりアルミ、それより炭素繊維が優れるわけですが、鉄からなかなか抜け出せない理由の一つが自動車会社と製鉄会社の絶対的関係であります。トヨタがようやくアルミを多用した車を作るようですが、技術的には20年も前にホンダが完成させていたと記憶しています。当時読んだ日経の記事の私の記憶が正しければそれでも普及させなかったのは「そんな軽い車を作ればクルマ業界が大混乱になる」という事だったと思います。

カルロス・ゴーンという人が突然フランスからやってきてあの日産自動車を復活させたその理由とはそのような「しがらみ」に囚われることがなかったからであります。取引先との商習慣もすべてぶっちぎったのは「無知だからこそできた技」とも言えるのでしょう(仮に下請けとの関係の説明を聞いても彼は聞き入れなかっただけです)。

富士重工という会社は異彩を放っています。年間90万台しか作らないこの会社の利益率はトヨタ自動車をはるかに凌駕する圧倒的NO1の会社であります。理由は同社の徹底的な特徴を生み出すそのこだわりでコアなファンを持っていることにあります。

人がやらないことをやるのは日本の社会では大変なエネルギーを必要とします。そしてその結果、成功すれば良いのですが、失敗すれば「そら見たことか!」と指を指され、辱めを受けることもあるでしょう。ですが、グローバル化の中で日本がずっと変れなくても外の世界はどんどん変わっています。明治時代に欧州に勉学に行った人々が日本がいかに遅れているかを認識し、日本に外国のシステムを取り入れて行きました。

今、日本はウサギとカメの話の状態にあります。ウサギが日本です。経済大国だから、高い教育レベルを持っているから、モノづくりに長けているから、アジアで一番たくさんノーベル賞を貰っているから…といった甘えはないでしょうか?

私が毎日このブログを書き続けるのは海外に在住しながら日本を見続けているからなのです。「君は外国に住んでいるから日本の社会を忘れている」というご批判は言い方を変えれば、「君は日本しか知らないからどれだけそれが奇異なのか分かっていないのだ」という言い方もできるのです(そうとは人には言ったことはありませんが)。

変ろうとする気持ちから変わろうとする行動に移す時が来たと思います。年も終わりが近づいた今、これからの日本という大きな抱負を考えるのは今なのではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年12月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。