声なき子どもを犠牲にする国、里親制度の運用に見える影 --- おときた 駿

アゴラ

「政治家(議員)になって良かったな…」

と思えることは正直それほど多くないですが(?!)、その数少ないうちの一つが

社会問題とダイレクトにつながる行動・仕事ができること

です。どういう意味かというと、例えば本やテレビを見て、子どもの貧困や障害者問題、人権侵害などの社会的課題に触れたとします。

「ああ、こんな悲惨な現状があるんだ…自分に何ができるだろう?」
「とりあえず情報を拡散だ!シェア、RT!」
「こんど、ボランティアに参加しよう」

一般人の立場なら、これらくらいの対応までが普通です。しかし議員という立場であれば、何か深刻な社会問題に触れたとしたら、翌日には行政の関係機関に連絡し、翌々日には視察に行って現場を見ることすら可能です。


そして現場を知って政策を考え、それを実際に議会で提言することができます。すぐに採用されるかはわかりませんが、必ず行政から回答がもらえます。

微力ではあるが、無力ではない

東京都という巨大行政の中で、野党会派のいち地方議員ではありますが、これを確かなモチベーションの一つとして、日々活動に打ち込んでいます。

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そしてここ最近で一番刺さった本がこちらの、「誕生日を知らない女の子」(黒川祥子)。児童虐待を受けた子どもたちが、その後の里親元や児童養護施設、あるいは医療機関でどのような生活と人生を送っていくのか。その実態に触れた渾身のルポです。

「知ってほしい。こどもたちの傷の深さを。わたしたちの無知を。そしてわたしたちがこどもたちを救えるということを

「子どもには希望がある。この子たち、たくさん夢がつまっているの。どんな子でも希望があり、輝かせるものをいっぱい持っている。それを大人がつぶしてはいけない。輝かせることができるかできないかは、大人の責任

一人でも多くの方に読んでいただきたい本です。未読の方はぜひ、手に取ってみてください。


誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち

さて、こちらの本を読んだからというわけではなく前々から決めていた予定だったのですが、本日は東京都が所管する江東児童相談所へ実際に視察のため訪れました。

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社会的養護、児童養護施設、里親についての過去記事はコチラから。
http://otokitashun.com/tag/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E9%A4%8A%E8%AD%B7/

前回の記事でもご紹介した通り、我が国では社会的養護が必要な子どもたちに対して、施設措置による対応が一般的になっており、里親など家庭養護が著しく遅れています。

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この原因と対策について、今回はさらに深く掘り下げて考えていきたいと思います。

社会的養護が必要になった乳児・児童・生徒たちは、まず第一義的に家庭的養護を受ける権利があり、これは日本も批准している「児童の権利に関する条約」第20条に明確に規定されています。

里親ではなく、施設への措置が許されるのはあくまで「必要な場合(if necessary)」のみで、原則はすべてに家庭環境を与えなければなりません。

ここに立ちはだかる最大の要因が、「実親の不同意」です。日本では一時的な養育を担当する「里親」と、血縁関係を持つ「養子縁組」の違いすら認識されていないこともあって、里親に対する実親の抵抗が非常に強いそうです。

「里親に、わが子を取られてしまう」
「施設ならいいけど、里親なんてもってのほか!」

行政としてはこうした実親とのトラブルは避けたいところですし、実親から裁判でも起こされてはたまらないというわけですね。

また、里親への対応にも課題があります。施設から里親に措置変更をして、うまくいくとはもちろん限りません。

「成長してから、障害を持っていることが発覚したら大変だ」
「もし問題行動を起こす子で、里親さんに負担をかけるのは申し訳ない」

アマチュアである里親さんに任せるより、プロの施設に置いておく方が安心安全。里親措置をした結果、問題が発生して里親側から裁判でも起こされてはたまらない…。

そんな行政側の心理が、消極的な里親措置の数字からも見て取れます。

高齢者福祉に比べて極めて少ない予算や人員でやりくりしている、行政担当者や児童相談所の対応には理解と敬意を表したいと思いますが、率直に言って「一体どっちの方向を向いているんだ!!」と感じます。

社会的養護の受益者は、当然ながら子どもたちです。養育能力のなくなってしまった実親や、子どもが欲しい里親ではありません。

それでも子どもたちの国際的権利や環境を無視して施設措置が選択されるのは、子どもたちは声を上げることができず、権利を主張することもできないからです。リスクや負担をすべて、声なき子どもたちに押しつけているのです。

そもそも冷徹に法的な観点から言えば、虐待の発生や疾患、経済的理由などで養育能力をなくした実親は、社会的養護措置に同意した時点で

「施設ならいいけど、里親委託はイヤ!」

という選択をする権利はありません。実際に、児童養護施設と実親が交わす同意書にそんな項目はないそうですが、意思確認という「運用」の中でなぜか実親の意向が強く反映されています。

東京都では4,000人を超える乳児・児童・生徒が施設で暮らす一方、里親に登録しながら未委託となっている「休眠里親」が数百組以上存在します。

子どもたちの絶対量に対しては充分な里親世帯があるわけではないですが、なぜか「余っている」という状態が作りだされているのです。

上手くいかないことはあるでしょう。「里親」というイメージが日本社会にもっと浸透するまでは、失敗を社会やマスコミから叩かれることもあるかもしれません。

しかし、第一義的に子どものことを考えるという信念のもと、「運用」さえ改善されれば、休眠里親の元に行ける子どもたちは沢山います。日本や東京都は今すぐ、法律や国際基準に反した運用を改めるべきです。

「すぐに迎えに来るから、施設の方がいい」
「他人の家庭に入れて、その色に染められてしまうなんて嫌だ!」

そう考える実親の気持ちがどんなに無視しがたくても、虐待・精神疾患・経済的理由などで多くの場合、実親の元に戻ることは困難です。

そうこうしているうちに子どもが大きくなり、深刻な愛着障害症から問題行動を起こすようになってからでは遅いのです。

「どんな子でも希望があり、輝かせるものをいっぱい持っている。それを大人がつぶしてはいけない。輝かせることができるかできないかは、大人の責任

我々はこの視点とメッセージを、忘れてはいけないと思います。

以上はもちろん、複雑極まりない社会的養護の一側面であって、様々な要因や異なる見方もあることを付記しておきます。

「声の大きなものに迎合し、声なき子どもたちに負担を押し付ける」

これは社会的養護に限らず、医療・年金をはじめとする我が国のあらゆる社会保障分野においても見られることです。

政治家は票やお金にならないこうした分野に無関心になりがちですが、これと闘わなければ、私が議席をいただいた意味はありません。

本件は、来年早々の予算委員会で取り上げるつもりです。引き続き折に触れてまた、このブログでも問題点や政策を紹介していきます。

日本ではまだまだ馴染みのない里親制度、そして社会的養護。皆さまにも少しだけ関心をお持ちいただければ幸いです。

それでは、また明日。

おときた 駿
◼︎おときた駿プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。

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編集部より:この記事は都議会議員、おときた駿氏のブログ2014年12月16日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださったおときた氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。