何かに精を出す「元気老人」が願うこと --- 井本 省吾

アゴラ

このところ、大学の同期会やサークルのOB会、退社した新聞社の親しかった仲間の会合に出席することがふえた。

顔ぶれは60代後半から70代前半の前期高齢者だ。出席する人間がそうなのかも知れないが、皆、何かに取り組んでいる。


Aは学校時代にグリークラブに入っていたので、今5つもの合唱団に属して毎週3、4日はその練習に明け暮れている。高校時代のOB合唱会、大学時代のOB会、退職した会社のOB合唱団、地元のサークルやネットで知り合った声楽好きとの交流。当初、男性合唱団だったのが、初老女性の合唱団に声をかけ、混声合唱団になった場合もある。各サークルとも1年に1度か2度、リサイタルを開いており、「それをめざして練習するので忙しくて仕方がない」と笑う。

Bは会社時代の仕事を生かし、大学で非常勤講師をしたり、子供時代から好きだった昆虫採集を再開している。地元の子ども会に頼まれて、週末、子供と一緒に近くの野山に出かけ、昆虫観察や採集方法を教える日々だ。

野鳥撮影を始めた者もいる。鳥ごと、場所ごとに観察のベストシーズンを調べて北海道から沖縄まで、一年中、歩いている。撮影は玄人はだしで、同期会に持参した分厚い写真集は見事な出来だった。

このほか、小さな畑で野菜や花を育てている者、囲碁やゴルフ、絵画、そば打ち、魚釣り、山歩き、海外旅行に精を出す者、郷土の歴史を調べて本にしたり、その資料を集めて展示会を開く者もいる。

もちろん医者や弁護士、科学書・論文類の翻訳家、経営コンサルタントとして、今も現役として働いている者も少なくない。過労から体を壊してしまって入院したと連絡が入る場合さえ、しばしばある。見舞いに行き「貯金も年金もあるのだから、健康を考えて仕事を半分以下に減らしたら」と忠告しても、その場では神妙に頷きながら、退院して3ヶ月もたつと、元の忙しさに戻っている。

もとより、老親や妻の介護でに時間を割いている者も少なくない。

定年退職してやることがなく、暇を持て余しているという人間は皆無に近い。私が30~40代のころ、会社一筋、仕事以外は無趣味で、地元の活動にも疎遠な人間は退社した後、無聊をかこち、家族から「粗大ゴミ」「濡れ落ち葉」だと嫌われる、と言われていた。

だから、「退職前から趣味を持ったり、地元への人脈づくりをしておけ」などと評論家が盛んにテレビで発言、雑誌などでもそうした警告が目立った。

だが、現実はどうか。周囲を見渡す限り、そんな人間はほとんど見られない。皆、何かやっている。「濡れ落ち葉」「粗大ゴミ」はもはや死語ではないか。

「粗大ゴミになるぞ」という警告が利きすぎて、脅迫観念、不安にかられて取り組んだのか?

そういう面もある。しかし、大体は自然に、今の道に入ったという者が多い。現役時代に仕事人間だった者は、退職後も何かをやってないといられない、やっていたい、ということなのではないか。

そういう人間が日本人には多いのだ。70歳前後ともなれば、持病のない人間は皆無に近く、OB会では病気の話で持ちきりになるが、それでも基本的に元気である。何かやっているから元気なのか、元気だから何かやっているのか。ニワトリとタマゴの関係だろう。

結果として病気が減り、若い世代への負担が少なくなる。また「直前まで元気で、アッと言う間に死ぬ」というピンピンコロリ型の、望ましい形で最後を迎える者がふえる。

もちろん、事はそううまく行かず、寝たきりになったり、認知症になったりする例は多い。だが、少なくとも元気に活動している方がピンピンコロリで逝きやすいのではないだろうか。彼らの多くはそれを願っている。私もその一人である。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2014年12月21日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。