世相の変遷:2014年をお笑い風に振り返る

北村 隆司

謹賀新年

日本では数多くの自然災害、海外ではロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入、「イスラム国」の攻勢、南スーダンでの武力紛争勃発、西アフリカでのエボラ熱の流行など誠に多難な2014年でした。

経済面では、所得格差の拡大が各国の安定を妨げる大きな問題として取り上げられた年でもあります。


テロや暴動は、絶対的貧困よりも相対的格差への怨嗟が原因となる場合が多いと言われていますが、格差があっても自由を採るか自由を失っても平等を採るかは:

刑務所:三度の食事は無料
会社 : 一日一食だけで自費
刑務所: 真面目に働けば早く出られる
会社 : 真面目に働く人には仕事が増える
刑務所: 専用トイレ
会社 : 共用トイレ
刑務所: 経費は税金で支払われる
会社 : 給料から税金が引かれる

のどちらのライフスタイルを選ぶかに似ているのかも知れません。

経済発展の美名に隠れた格差や不正の拡大には、中国の様に強権政治の腐敗による場合と、英米の様に自由の行き過ぎによる「強欲」の跋扈で起る場合があります。

中国では:
「起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ! 我らが血肉で築こう新たな長城を!中華民族に最大の危機せまる、一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。起て! 起て! 起て!」で始まる国歌『義勇軍行進曲』が『金権主義行進曲』と改名され,歌詞も「起て、貧乏人となることを望まぬ人びとよ! 我らが血肉で築こう新たな資産を!中華民族に最大の危機せまる、一人ひとりが最後の投資をする時だ。稼げ! 稼げ! 稼げ!」に変り、

英米では:
「出来上がったオーダーメイドの服に手を通した或る若い銀行家が、ポケットがついていない事に気がついて仕立て屋に問い合わせると『自分のポケットに手を突っ込まない銀行家の服には、ポケットを付けないのが普通です』と言う答えが返って来た。」と言うジョークを、国民がジョークと思わない深刻な事態です。

ここ十数年間に、世界の大銀行が支払った罰金や賠償金の総額は、100兆円を遙かに超える天文学的な金額にのぼりますが、それでも刑務所につながれた銀行家がいない事実は、「世相」がそれを許すようになった事が影響しているに違いありません。

音も臭いも、色も形もない「世相」の変化を読み取ることは難しいものですが、今から90年以上も前から今日の世相を予測していた人物が芥川龍之介でした。

彼は、1923年から連載を始めた「侏儒の言葉」の中で、こんな事を書いています:

銀行家の堕落について:
恒産のないものに恒心のなかったのは二千年ばかり昔のことである。今日では恒産のあるものは寧ろ恒心のないものらしい。

慰安婦問題での朝日新聞やSTAP細胞の小保方さんの袋叩き現象について :
輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても。

モンスター・ペアレントについて:
子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛であるが、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与える影響は――少くとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。

日本国憲法について:
彼は彼自身の現実主義者であることに少しも疑惑を抱いたことはなかった。しかしこう云う彼自身は畢竟理想化した彼自身だった。

保守的歴史観について:
我我日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命(サルタヒコノミコト)もコスメ・ティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?

日本の研究者3名が青色LEDの開発の青光褒祝(成功報酬)として、ノーベル物理学賞を受賞した事は日本にとって明るいニュースでしたが、日本に対し異常な敵愾心を燃やす韓国では、この受賞を国家的な悲劇として嘆き悲しんだと報道されました。

韓国も、芥川龍之介の「悲劇とは:みずから羞ずる所業をあえてしなければならぬことである。この故に万人に共通する悲劇は排泄作用を行うことである。」と言う定義を読んで肩をほぐす事が、科学立国韓国や日韓友好への近道ではないでしょうか。
 
2015年1月6日
北村 隆司