本書は終戦直後からサンフランシスコ条約までの7年間の記録だが、こうして読むと、安倍首相のきらう「戦後レジーム」がどうやってできたのか、よくわかる。印象的なのは、よくも悪くも左翼の影響が強かったことだ。
マッカーサーが日本の統治者として来たとき、近衛文麿は「軍閥を助長したのはマルキシストである」として、共産主義から日本を守ることが最大の課題だと訴えた。GHQの主流だった民政局のニューディーラーは、軍国主義の影響を残す自由党からも共産党からも距離を置き、進歩的な社会党に期待した。
当初GHQは、民政局の影響で容共路線をとったが、1947年の2・1ゼネストを境に「逆コース」をとり始める。これはGHQの中では、民政局からG2への主導権の移行と並行していた。共和党系の多いG2は反共路線をとり、レッドパージで日本を冷戦の前進基地にしようとした。
これに対して左翼は「全面講和」を掲げて闘った。ソ連は北方領土の不法占拠を続けたまま講和条約の交渉を打ち切ったので、「単独講和」以外の選択はなかったのだが、東大法学部から共産党まで「非武装国家」の理想を掲げて「米ソを仲介する中立国家」をめざした。
このような空論がそれなりに力をもったのは、民政局の支持を受けていたことが大きな理由だったが、1949年から始まったドッジ・ラインでニューディーラーは一掃され、緊縮財政で日本経済は正常化した。
終戦直後の経済民主化と50年代以降の資本主義の組み合わせは、経済的には完璧ともいえる復興のシナリオだった。民政局の力がなければ財閥や地主の支配は断ち切れなかったし、G2が政府債務を清算しなかったら財政は破綻しただろう。
占領統治は史上最大の革命であり、それを無血で実現したのは奇蹟といってもよい。それはマッカーサーの指導力も大きかったが、GHQの中の保守とリベラルと吉田茂の絶妙のバランスの結果でもあった。日本の左翼の歴史的使命は、40年代で終わったのかもしれない。