私がバンクーバーでの一事業をスパっと「やめた」理由 --- 岡本 裕明

アゴラ

バンクーバーで8年間経営してきたカフェ事業を12月末で売却しました。この決断に至るまでには紆余曲折し、オプションの一つとして検討をしていましたが、あるきっかけでスパッとその気持ちが固まりました。

私がカフェを経営するのは路線違い、という声はずっとありました。ですが、開業の理由は不動産デベロッパーが住民の憩いの場を提供すると同時に、デベロッパーがコンクリートの建物を作り、完成したらすぐに逃げ去る(会社を清算し訴訟されにくくする)そのスタイルに対する挑戦、そして、デベはいつでもそこにいます、というメッセージを送ることを一つの目的としていました(だからこそ、住民たちとコミュニケーションはとりやすく、大きなトラブルはほとんどありませんでした)。


一方、カフェというビジネスは実に面白く、どうにかしてこの手間がかかる「子供」を大きく成長させてやろうと日々、悪戦苦闘してきました。

そのカフェ文化は時間と共に形を変え、成長し、今、第三時代を迎えつつあります。

第一世代はアメリカンコーヒーと称される薄い、でも何杯でも飲めるコーヒーでした。80年代はまだスタバの本拠地シアトルでもホテルの朝食ではアメリカンコーヒーがサーバーさんから何杯も継ぎ足され、マグカップ3杯ぐらいをがぶ飲みしていたのをよく覚えています。

ところがそのシアトルではオフィスビルの下や街角に小さなエスプレッソコーヒーの売店があちらこちらで出現し始めました。まさに第二世代の幕開けです。私も80年代後半、シアトルのオフィスビルの下でエスプレッソコーヒーを午前10時になったら飲みに行くというスタイルを初めて経験し、衝撃的でありました。その標準化と拡大路線を作り上げたのがスターバックスでありましょう。

スタバがどんどん北米を中心に拡大していた90年代半ば、みずほ銀行(当時の興銀)の部長さんがシアトルに出張に来た際、「スタバを日本に導入する」と本気で息巻いていましたが後々、先を越されたとこぼしていたのを覚えています。

私にとってこのエスプレッソ文化が北米生活のきっかけでもあり、自分のカフェにエスプレッソマシーンを導入し、アンチスタバ派を取り込むべくイタリア風ローストの品質の良い豆を使い戦いに挑んだのです。その間、地元のお客様に愛され続けてきました。

しかし、私にカフェ経営が変ったな、と思わせたのはこの3年ぐらいでしょうか? まず、個性派のカフェが増えたことがあります。豆に一定のこだわりを持たせながらファンの囲い込みがなされました。次にテーブルの配置が変りました。大きな長テーブルに一人客が集まり、ITガジェットをいじりながらコーヒーを飲むスタイルであります。これはリアル版SNSをコーヒーショップで再現したとも言えます。このトレンドはバンクーバーでも流行と時代の流れに敏感な若者が集まる一定エリアから徐々に発生、拡大していきました。

今から10数年前、ある日本人経営のラーメン屋が座席の一部を長テーブルにしました。当初、北米ではタブーな「相席」に躊躇する客が多く、「席が空くまで待つ」という人を多く見かけました。ですが、今や長テーブルは居酒屋などどこでも当たり前のように存在するようになりました。まさに同じ雰囲気を共有するという新たな流れができたとも言えるのです。

そして今、カフェは第三世代に移りつつあります。それは豆に対するこだわりでしょうか? 私はオーガニックにフェアトレードと称するきちんとした流通経路で労働者への正当な賃金を払って栽培されたコーヒーを4年ぐらい前から導入していました。これも第三世代の一部です。更にはこだわりの豆をハンドドリップなどで提供するスタイルとなる、とされています。

私は自分のビジネスは何か、よくわかっています。カフェを開業した目的もしっかり把握した中でこのウェーブチェンジに背中を押されたと言ってもよいと思います。私がカフェのオヤジになるなら、トコトン攻めたでしょう。ですが、残念ながらそうではありません。ですからこの憩いの場を引き継ぐ相手(=売り先)だけを吟味することが私にとっての使命となったのです。

幸いながらサイフォンコーヒーを提供したいという強い思いの方にそのバトンを渡すことができました。流れからすれば第三世代のコーヒーそのものであります。

スクラップアンドビルド(scrap and build)という言葉は北米ではほとんど使われない和製英語でしょうか? 一般には古くなった工場の立て替えなどを指しますが、事業の再編で使うこともあります。つまり、御役目を終えたビジネスを処理し、戦力を新たな方に向けるという事でしょうか? そういう意味では私のビジネス全体の中では正にそれを断行したわけです。

三菱自動車の益子修会長が「やる決断よりやめる決断の方がはるかにきつい」と述べられています。それは愛着や惰性、期待など感情が入り混じるからでしょう。私も難しい判断でしたが計数的に落とし込み、自分自身への圧倒的な説得力をもたせ、最終判断としました。計数とは儲かっているかどうかの尺度だけではなく、このビジネスが自分の中でどういう位置づけで自分がその成長を支えられるのか、という事も含めてであります。

90年代後半にシアトルで150席ほどの日本食レストランの経営を任されていたことがあります。それまで赤字垂れ流しのレストランを2年で黒字化までこぎつけたところで東京から「売却せよ」の指示。私の愛着に対して会社は一言。「お前のパッションはレストランにそそぐよりもっと大事なものがある」と言われたのが衝撃的でもあり、気持ちが吹っ切れた時でもあります。

やめるタイミングとは本当に深いものがあります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2015年1月12日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。