銀行預金がマイナス金利で自然に減っていく時代 --- 岡本 裕明

アゴラ

スイスショック。まさにこの言葉がぴったりくるのが昨日のスイス中央銀行の決断でした。

2011年9月から続けたスイスフランの上限設定という為替防衛策の放棄は世界の金融市場における歪が裂けたと言い切ってもよいでしょう。


スイスはユーロ圏のど真ん中に位置しながらユーロに所属せずスイスフランを堅持しています。ある意味、イギリスポンドと共に主要欧州通貨では生き残りと言ってもよいでしょう。そのスイスは時計など精密機器の輸出や観光業など外国との交易や交流を通じて経済を成り立たせています。よってスイスフランが割高になると輸出力の低下や観光客の減少につながり、産業界からは一定規模の通貨防衛が求められていました。

そこでスイスは2011年に無制限の通貨防衛を行うことをサプライズ的に表明し、それ以降、特にユーロを買い、スイスフランを売り続けていました。その結果どうなったかといえば外貨準備がGDPの7割にも及び、スイス中央銀行はギリギリの判断を迫られていました。

それに追い打ちをかけているのが今月予定されているECBの政策委員会でマリオ・ドラギ総裁が国債の買い入れを含む金融の量的緩和策を打ち出すのではないかという見方であります。ECBの国債購入プログラムは日米と違い、どこの国の国債をどれだけ買うかなどバランスの問題もあるためドラギ総裁は慎重に慎重を重ねて準備をしているとみられています。

仮に予想通り、ユーロ圏が金融の量的緩和に突入した場合、スイスフランは更に買われる動きが想定され、スイスとしてはこれ以上の防衛は不可能と判断したようです。

その結果どうなったかといえばスイスフランは一夜にして対ドルで一時38%高、ユーロに対しては41%高とまるでゴムまりのようにすっ飛んでしまったのであります(その後は反落していますが、トレンドとしてはスイスフラン高のバイアスはかかるでしょう)。これが円もドルに対して急伸した理由であります。

この動きを概観するとどうなのでしょうか?

まず世界がバラバラになりつつあるように思えます。特に各国の中央銀行の政策もいわゆるリーダーが世界の方向を束ねながら一定方向に進むという事ではなく、金利を上げたい国、下げたい国など様々なのであります。スイスショックの陰に隠れていますがインドは昨日緊急利下げをしたのですがこれも含め、地球儀ベースでアメリカの金融の量的緩和の終焉に伴う影響が微妙に出てきたとも言えるのではないでしょうか?

昨日このブログで書いたように世界は何処にむかっているのかさっぱり分からなくなっています。専門家の予想は年初から僅か2週間しかたっていないのに想定と全く逆の動きを見せています(もっとも2週間を見ただけで判断することも危険ではありますが)。昨日の日経平均はインドの利下げもあり、ポーンと上昇したのですが、今日はそれを打ち消すだけ下げることになるかもしれません。ニューヨークもそうですが、市場に安定感も方向感も全然ないのです。これはマネーを扱う専門家すら右往左往しているようにも見えます。

総括してみると世界共通の問題はインフレとの戦いではないでしょうか? 今ではマイナス金利があちらこちらで当たり前のようになってきた時代を5年、10年前に誰が想像したでしょうか? ひょっとすると5年後には一般の銀行預金利息がマイナスという事もないとは言えないのです。つまり銀行にお金を預けておくとお金がどんどん減っていく、という事です。しかし、私はカナダで長年それを「経験」しています。つまり、銀行に口座を開けば一定の口座管理手数料を取られ、一方でチェッキングアカウント(ほとんどの人がもつ小切手を切る普通口座)は金利が付きません。セービングアカウントと称する預金金利がつく口座でもその金額は日本ほどではないにしても雀の涙。カナダでは少なくとも銀行口座を持ては実質的にお金は減るのであります。

だからこそ物量の資本主義から内面の充実にシフトすることを考えなくてはいけない時代になったのかもしれません。

アメリカの「利上げ」プランもここにきてそのタイミングの予想がまちまちになってきました。間違いなく言えるのはその時期が先送りされる予想が増えつつあるという事でしょうか?

量的緩和でマネーが世界をフロートしているためにスイスフランがぴゅーっと飛ばされたとすれば日本円もそういうことはいつでも起きるという事です。そしてスイスにとって一日にして20%もの通貨価値の動きがあったことを経済学的にあるいは為替価値の学術的分析を通じてどう説明しろというのでしょうか?多分、誰にもできないはずです。

正にスイスショックでありますが、これが2015年の序章ではないことを祈ります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2015年1月16日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。