「イスラーム国」の人質事件では、身代金の要求に対して「テロリストに屈服するな」という意見が圧倒的だが、これはそれほど自明の問題ではない(ややテクニカル)。
池内恵氏によれば、イスラーム国が誘拐で稼いでいる資金は、年間2000万ドル以上だという。これは身代金を払う家族や企業が多いことを示す。アフリカや中南米でも誘拐は大きなビジネスになっており、身代金を払うことは事後的には合理的なのだ。これを簡単な展開形ゲームで考えてみよう(数字は犯人と被害者の利益)。
A<B
つまり身代金が命の価値より小さいときだ。誘拐されたのが個人なら、身代金Aの相場は100万ドル程度といわれており、事件が報道されなければ払う選択もありうるが、政府の場合は違う。
もし人質で脅せば日本政府が身代金を払うとわかると、犯人の期待できる利益がAになるので、日本人を誘拐するインセンティブが強まり、今後も同じような犯行を繰り返すだろう。要求を拒否すると2人の生命は失われるかもしれないが、犯人のコストも-1だ。これでは何もしない(0)ほうがましなので、誘拐のインセンティブは失われる。
つまり事後的に合理的な政策をとると、誘拐のインセンティブを強め、もっと多くの日本人の生命を危険にさらす。ここで問われているのは「2人の生命か2億ドルか」ではなく、2人の生命か将来の多くの生命かという選択なのだ。
上の図は、実はソフトな予算制約の図と同じだ。このように合理性とインセンティブがトレードオフになる「時間非整合性」はありふれた問題で、答は原理的に一つしかない。政府の(事後的には合理的な)裁量を許さないコミットメントで、犯罪のインセンティブをなくすことだ。それが法の支配の意味である。