気になる「戦後レジームとの訣別」論議

松本 徹三

私は安倍首相とは考えの異なるところが多々あるが、人格的には認めているし、努力を惜しまぬ姿勢も評価している。有能で危なげのない菅官房長官とセットで考えた場合、彼等に代わりうる適切なリーダーは当面見つからないし、そもそもこれまでのように毎年のように首相が変わるのは決して好ましい事ではない。


この状況下で、日本の真面目な一市民である私自身がやるべき事は、
1. 応援すべきところ(私にとっては「憲法改正」)は応援し、
2. 「既に手遅れ」「当面は大きな問題ではない」或いは「どちらとも言えない」というところ(例えば現下の経済運営)については、あまり雑音を入れず、
3.どうしても「これは問題だ」と思うところについてのみ、何とか考えを変えて貰う。
という事ではないかと思っている。

この最後の範疇に入るところで、今日私が言及したいのは、「戦後70年の所信表明」のあり方である。このあり方一つで、彼自身に対する諸外国の評価も変わるし、これによって日本の国際的な立場も大きく影響を受けるからだ。

安倍首相をヒットラーに例えるような「低脳で思慮のない一部のサヨク」は問題外としても、安倍首相を「極右」と考えている外国人は現時点では結構多い。そうなると、現在の日本が当然やらなければならない「憲法改正」に彼が力を入れても、「積極的平和主義」について語っても、全てこの色眼鏡で見られてしまう。そうなると近隣諸国は彼がやろうとする全ての事に反発し、欧米諸国は日本の配慮のなさに失望する。

安倍首相ご自身は、当然「自分は極右なんかではない」と思っておられることだろうし、「何故日本人の精神の問題である靖国神社への参拝などについてとやかく言われなければならないのか」と本気で苛立っておられるのだろう。

確かに、これまでの「進歩的文化人たち(実質的な左派勢力)の辻褄の合わない言説」や、「保守勢力への対抗の為に、過去の日本を必要以上に悪者に仕立てようとした左翼勢力の歴史観」に悲憤慷慨してきた人たちの数は多いし、政治家というものは大体において自分に近い支持者に取り巻かれている時間の方が多いから、その人たちの期待に応える為にも「よし、今度こそ、この私がやる」と、彼が意気込んできたに違いない事は容易に想像できる。

しかし、この際彼に是非考えて欲しいのは、「日本の首相」としての国民への責任である。

まず、「過去の正当化」の方向へと彼を導いていきたい「周囲にいる人たち」は、共産党や社民党の支持者たちと同様、国民全体の中で見ればむしろ少数派であり、国民の大部分は「過去につては是々非々」で、「村山談話」を支持してきた人たちである事を、彼は知るべきである。

次に、理由はどうだったにせよ、彼を「極右」だと誤解している外国人が現実に多いという事実を、彼は深く反省すべきであり、どうすればこの誤解が解消できるかを真剣に考えるべきである。(「村山談話見直し発言」や「靖国参拝の強行」がこの大きな原因の一つであることは言を俟たないので、先ずはその事に深く思いをいたすべきである。)

安倍首相が終戦後70年を機に「所信表明」をするとすれば、それはこういった誤解を晴らす絶好の好機であるかもしれない。しかし、下手をすると逆効果になる恐れもないとは言えない。

先ず、この「所信表明」は三部構成となり、第一部は「終戦前の日本」、第二部は「終戦から今日に至る日本」、そして第三部は「これからの日本」になる筈だと言われている。私はこの構成には特に反対するものではないが、問題はそのそれぞれの内容だ。

第一部では、安倍首相は「何故いつまでも繰り返し謝らなければならないのか」という周囲の声に配慮して、「歴代の首相の考えを踏襲する」という事で済ませてしまいたいと考えているかもしれないが、これは良くない。意味するところはどうせ同じなのだから、もう一度自分自身の言葉で、「深い悔悟の念…」云々を繰り返して述べるべきだ。それが後で要らざる批判を受けるのを防ぐ最良の方法だからだ。

過去の問題については、韓国などは繰り返し「日本とドイツの過去への言及のニュアンスの違い」を指摘し、これに反発する一部の日本人は、「当時の日本の軍事政権を残虐非道なナチス政権と同一視する事自体が問題」と息巻くが、当時の日本はナチスドイツと同盟を結んだのだから、同じ考え(価値観)を持っていたと思われても仕方がない。ましていわんや、今になって「戦争犯罪裁判は不当」等と言って、「かつての連合国」側の非に言及すれば、その事の当否とは関係なく、わざわざ自分の方から「彼等の共通の敵だったナチスドイツ」と「一体」と見做される事を求めているに等しい。

従って、「慰安婦問題」の如く、事実と相反する事を言い立てる一部の人たちの攻撃に対応する事を除けば、国際政治や外交の場では、過去については「全てを悔悟し、反省する」という姿勢をとり続ける方が無難であるのは言を俟たない。「慰安婦問題」と異なり、これで日本が失うものはもはや何もない。(因みに、慰安婦問題については何も語らず、もし質問があれば、「河野談話を踏襲する」とだけ言えばよい。)

「日本の過去の全てが悪かったわけではない」とか「連合国側にも多くの非があった」と言いたい人が多いのは理解するが、そういう人たちには、本を書く等の方法で幾らでもアッピールする道は開かれているのだから、政治家がそのお先棒を担ぎ、国際政治の問題にする必要等は全くない。もしこの人たちの考えが本当に妥当なものなら、外国人であっても、その人たちの書いた本を読んで共感する人も出てくる筈だ。

第一部をどう語るかについては、このように比較的簡単だが、「所信表明」の第二部で、戦後の70年にわたって日本がやってきた事を語り、それと対比させる形で、第三部で「これからの日本」を語る事は、そう簡単ではなく、相当慎重な配慮が必要だ。

私が最も心配するのもそこであり、特に一部の人たちが口走っている「戦後レジームからの訣別」という言葉には神経質にならざるを得ない。これが「過去70年間は過度に卑屈になっていて、何でもハイハイと言ってきたが、今後は変わる」という意味に取られれば、欧米諸国を含む諸外国は、それを決して好意的にはとらえないだろう。

そもそも「戦後レジーム」とは何なのか? 私の考えでは、「戦後レジーム」等という抽象的な言葉は、今となっては殆ど何の意味も待たない空虚な言葉だと思う。

戦後70年という区切りもあまり意味を持たない。1945年の終戦から、1951年のサンフランシスコ平和条約締結まで、日本は独立国ではなく、連合国(実質的には米国)の被占領国だったわけだから、この6年間と後の64年間は大きく異なる。

(因みに、当時の日本の左派は「講和条約はソ連も署名する全面講和でなければならず、米国が主導する部分講和は受け入れられない」として反対したが、この反対は退けられ、とにかく日本はこれによって「独立国」となった。そして、日ソ間の戦争状態の終結、即ち「関係正常化」は それから5年後の1956年の日ソ共同宣言によって実現している。)

この後に訪れた大きな転機は、先ずは終戦後27年の1972年に実現した「日中国交正常化」であり、それから、終戦後44年の1972年に実現した「ベルリンの壁の崩壊(実質的な東西冷戦の終結を意味する事件)」であろう。

サンフランシスコ平和条約締結後も日本の政治経済に大きな影響力を落ち続けた米国は、東西冷戦下では日本を西側陣営の重要な一員として確保したかったし、日本の保守派はそのような米国の意向を受け入れる事によって日本の共産化を防ぎたかった。これに対し、「日本はむしろ中ソ陣営に属したほうが良い」と考えていた日本の左派は猛反発し、学生や知識人の多くがこれに同調した為、大規模な「反安保闘争」が組織されるなど、日本の国論は大きく二分された。敢えて言うなら、これが「戦後レジーム」の第一段階だ。

(因みに、米国は「西側陣営の一員としての日本の再軍備」も促進したかったが、憲法改正には国民の2/3の賛成が必要であり、左派勢力が1/3以上を占めていた当時の日本ではこれが不可能であった為に、保守派は現行憲法の解釈によってこれを可能にした方が早道だと考えるに至った。そして、このような状況は現在に至るまで続いている。しかし、誰が考えても、このような姿は健全とは言えないし、いつかは限界が来るだろう。)

しかし、その後の国際情勢は大いに変わってきている。まず、日本人の多くは、「共産主義、社会主義の非効率性」や「独裁体制に不可避な腐敗」を目の当たりにする事によって、全般的に大きく「左派離れ」をしてきている。安全保障の問題にしても、「東西冷戦」が終結して一息入れられる状態にはなったものの、近年では「中国の覇権主義の顕在化」と「テロの脅威の拡大」が新しい懸念材料になってきている。

安倍首相やその周辺は、このような変遷を経てきた日本の戦後70年をどのようなキーワードで総括し、その「何」に対して、どのように「訣別」しようとしているのだろうか? 何とも気になるところだ。

手っ取り早く、私の結論を言おう。もし私が安倍首相なら、中途半端な「戦後70年の総括」等はしない。それよりも、残る在任中に、彼自身にとっても長年の懸案だった筈の「憲法改正」に、心血を注いで取り組む。

そして、私なら、新しい憲法の「前文」においては、欧米諸国や東南アジアの国々はもとより、中国や韓国にも懸念を与えないような「過去に対する痛切な反省」をベースとした「積極的平和主義」(私なりの解釈では「自国民の安全だけにとどまらず、全世界の恒久平和実現の為に積極的な役割を果たす強い決意」)を、明確に且つ格調高く謳うだろう。

それこそが、安倍首相が行いたいと思っている「所信の表明」を「形」で示す仕事であり、国際社会のこれまでの誤解(である事を祈る)を、一気に解きほぐす事にも繋がるものだと、私は秘かに思っている。