安倍首相は過去より未来を語れ --- 井本 省吾

アゴラ

4日の衆院予算委員会で、民主党の細野豪志政調会長は中東の過激派テロ集団ISIL(イスラム国)の問題とは別に、「第2次大戦で日米開戦に突入した当時の指導者は国策を誤ったと認めるか」と安倍首相に迫った。

国策を誤り、無謀な戦争に導いた当時の政府閣僚や軍幹部が、一般の戦死者と一緒に靖国神社にまつられているのには違和感があるというのである。


一般の日本人は無謀な戦争に駆り出された被害者、悪いのは当時の戦争指導者だという米国や中国の論法に乗っかったいつもの議論である。

これに対して、首相は「戦争に負け、国が焦土と化し、大勢の人が死んでいった。当時の政治指導者、戦争指導者に責任があるのは当然」としつつ「歴史をどう見るかは歴史家に任せたい」とかわした。細野氏は「はっきりと国策を誤ったと言わない首相は、歴史の修正主義者との批判を免れない」と捨てゼリフを残して質疑を終えた。

私も敗戦の責任があるのだから、はっきりと「国策を誤った」と認めていいと思った。安倍首相がそう明確に言わないのはなぜか。

安倍首相は、これに関して「(当時)世界でどういうことが起きていたのか。日本だけではなく全体を見ていくことも大切ではないか」と含みのある言葉を
残している。

奥歯にはモノがはさまった言葉の奥を忖度すれば、こうだろう。

<当時は欧米列強がアジア・アフリカを植民地化する帝国主義時代であり、日本は植民地化されないように必死でがんばっていた>

<第2次大戦当時の米ルーズベルト大統領は日本に戦争を仕掛けさせ、対日戦のみならず、対独戦にも踏み切りたいと考えていた。しかし、大多数が戦争に反対している米国民の手前、自分から日本に宣戦布告するわけには行かない。そこで、中国から撤退せよという当時の日本政府が到底呑めないような強硬な要求(ハル・ノート)を突きつけ、日本から戦端を開かせようとしていた。

<日本の安全保障を考えれば、ハル・ノートは呑めず、開戦に踏み切らざるを得なかった。そうした当時の政府の苦衷を考えれば、国策を誤ったと簡単には言い切れないものがある>

以上は私の推測であり、安倍首相がそう思っているかどうかはわからない。しかし、そう考えていたとしても、現在の日米関係を悪化させるような、そんな考えを口に出すわけには行かない。そこで、どこか曖昧な表現が残るわけである。

細野氏の「安倍首相は歴史習性主義者」という批判は、その辺を敏感に感じ取っての表現で、適切だとも言える。

だが、それは米国や中国の歴史観に沿ったものであり、細野氏をはじめとする民主党議員にはこうした「東京裁判史観」に依拠する政治家が多い。いや、公明党はもとより、自民党内にも多数存在する。

東京裁判史観を明確に否定する「次世代の党」が先の衆院戦で惨敗する中で、安倍首相と同様の歴史的立場をとる議員は少数であり、首相が歴史認識について、あいまいにならざるをえないゆえんでもある。
 
細野氏はその点をにらんで、安倍首相を孤立化させる戦略をとったとも見られる。「隠れキリシタン」(歴史修正主義者)の安倍首相に「お前はキリシタンだろう、それを認めろ」と、歴史問題で「踏み絵」を迫った形である。

私も隠れ、いや、何ら隠すことのない東京裁判史観批判者である。日本の歴史に誇りを持っている。だが、戦争に負けたのは明らかなのだから、当時の指導者が国策を誤ったのは確かである。政略、軍事戦略・戦術の各面で(この点は以前にブログ「原発停止は真珠湾攻撃に似たり」で書いた)。その点は悪びれずに認めた方がいいと思う。試合に負けた野球やサッカーの監督が「戦略を間違えた」というのと同じことだ。

その上で未来を語ればいい。安倍首相は戦後70年談話を語るということだが、またぞろ第2次大戦の反省、謝罪を語ることを米国や野党から迫られている。「戦後70年談話」などと言うから、「過去のことをどう語るのだ」ととやかく言われる。

「2020年に向けて」「次の20年を目指して」とか未来への希望、明るい展望を語るようにした方がいい。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月5日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。