ブロガー議員が話題の「ピケティ」をかいつまんで説明してみる

音喜多 駿

移動中に書籍や論評を読み漁って、ようやく話題のピケティの主張や論点が把握できました。

本日はそのごくごく一部になりますが、話題とはいえ99%以上の方が読まないであろうピケティについて簡単に解説し、私なりの所感を共有させていただきたいと思います。(より詳しく、正確に知りたい方は、入門書の購読をオススメします!)


Thomas_Piketty_2015

画像引用元

21世紀の資本
トマ・ピケティ
みすず書房
2014-12-09


どうして新鋭経済学者のピケティは、これほどブレイクしたのでしょうか?彼の主張は一言でいうと、

「資本主義が発達すればするほど、人々の経済的『格差』が開いていく」

というものです。

従来の経済学のセオリーでは、資本主義が成熟してくるとその格差は徐々に解消されていくとされていました。これに対する異論は縷々ありましたが、共産主義の崩壊によって資本主義の「正しさ」は証明されたような形になっていたのです。

多くの学説が資本主義の「正しさ」になかなか有効な反論が出来ない中、ピケティは19世紀から100年以上にもわたる資本主義各国の定量的データを分析し

「例外的な時期(※)を除き、資本主義社会では格差が常に開き続けてきた」

ということを示したのです。

例外的な時期とは第二次世界大戦後の一定期間のことで、この時期は確かに、資本主義各国では格差が解消に向かっていました。
しかしそれは、戦後復興や技術革新などの様々な条件が重なった特殊な状況に過ぎなかったのです。

ピケティの主張はあくまで、膨大なデータを分析して可能性を示したというもので、決して「格差が開いていく」ことを理論的に「証明」したものではありません。(それは本人も認めています)

しかしながら、類を見ないその研究結果の説得力たるやすさまじく、これまで資本主義に忸怩たる想いを抱いていた、何かの欠陥を感じていた人々を中心に

「やっぱり資本主義は間違っていた!」
「次の時代は、〇〇というシステムが来るはずだ!」

と盛んにもてはやされ、引用されているわけですね。
…とはいえ、ピケティ自身は資本主義を否定しているわけではなく、

「この世の中でもっとも効率的なシステムは、やはり資本主義だ」

と述べており、それをモデレート(修正)していくことで格差を解消していくべきというのが彼の主張のようです。

そのピケティがもっとも問題視していることの一つが、富めるものがますます富むという「格差の相続」です。

例えばアメリカでは、親の所得によってかなりの角度で子ども学歴が既定されます。
自由競争で流動性があるように見えて、近代社会の多くで資産が「相続」されることによって階級の固定化、格差の拡大が発生しているのですね。

そこで彼が唱えている解決策が、「国際的な資産税の導入」になります。
簡単に言えば、金持ちの資産に課税することで再配分を行い、格差を解消させようというものです。
もっと踏み込んで言うと、例えば相続税・贈与税をめっちゃ増やせ!ってことですね。

ここでのポイントは「国際的」という点にあります。
仮にアメリカやフランス一国で資産に課税を強化したところで、このグローバル化の時代、税金の安い国や「タックス・ヘイブン」に金持ちや資産家が逃げ込むだけです。

国際的な協調・ルール作りのもとで資産家たちに適切な課税を行い、資本主義というシステムを活かしたまま、格差を解消していきましょう!
これがピケティの提案(の一つ)になります。

しかし、この提案の実現には幾多の困難が付きまとい、ほとんど不可能なファンタジーであると言われています。

世界各国で協調・調整をして平等な税制を敷くというハードルの高さは少し考えただけで凄まじいものがありますし、そもそも日本では個人資産の正確な把握はできていません。
そういう国は、世界にはまだまだたくさんあるでしょう。

「資産」をどう捉えるかの定義にもまた議論がありますが、個人の正確な資産に課税を行うためには、金融IDなどを発行して人々の貯蓄まで国家が正確に把握しておく必要があります。

こうした個人資産や個人情報を国家が管理下におくことは、特にリベラルと呼ばれる人々を中心に根強い抵抗があることは有名です。

個人的には、再配分を受ける可能性が高い所得層の方々がこうした資産管理に反対するのはちょっと不思議でもあるのですが…。

さらにもっと根源的な問題として存在する議論が、そもそも人々が築いた「資産」に課税することは正しいのか?という点です。

資産という「ストック」は、天から降ってくるものではありません。
そこまで様々な「フロー」があって、蓄積が生まれてくるわけです。

人々が稼ぐ「フロー」には、所得税や法人税など様々な課税がかかっています。
それをすべて支払った上で、手元に残ったものが「ストック」なのです。

つまり、この「ストック」にもう一度税金をかけて徴収することは、二回にわたって課税を行う「二重課税」なのではないか、という疑念が生じます。
稼いだ人は何度も税金を取られてしまう仕組みは、あきらかに不平等です。

とはいえ、格差を見過ごし続ければ、社会が不安定になっていくことは道理です。
課税の整合性や私有財産の権利を取るか、社会の安定化を目指した格差解消を優先すべきか…

ピケティの問題提起は、我々の社会制度の根幹理念にかかわる部分に大きなテーゼを投げかけてきているのです。

私個人は自由主義者ですので、政府は小さく、税金は安ければ安いほどいいし、国家に管理などされなければそれに越したことはないと考えています。

しかしながら、一定の社会保障制度を運営せざる得ない現実の中で、「必要な方だけに、必要な福祉を行きわたらせる」ためには、政府・国家が資産の管理などに一部介入することもやむを得ないのではないかとは思います。

医療や年金などを「自分でできる人」たちには多く自己負担をしてもらい、バラまきと呼ばれる一律社会保障を大幅にカットしていくことは、財政破綻寸前の日本にとって確実に必要なことになるでしょう。

一方で、相続税の強化など「資産税」を大幅に増やすことに関しては、まだ抵抗があります。
課税を受けながら人々が稼いだものにもう一度政府が手を突っ込んで、強制的に召し上げることが果たして許されるのか…。

ちなみに私が通っていた政治塾で卒業論文として提示した政策は、「相続税・贈与税ゼロ」政策でした。期間限定の時限立法で

「40歳以下の対象者に相続させた場合、相続税は0とする」

とするもので、これによって世代間格差を解消するとともに、消費に旺盛な世代に資産を活用させることによって経済活性化を図るものです。
大前研一さんなんかも提言している政策ですね。

必要最低限な社会保障が行きわたるような仕組みを整え、税金はできる限り安くしながら経済を活性化させ、ボトムアップし、格差を解消する。

このあたりが、理想的な流れではないかと漠然と考えております。

長くなりましたが、なかなか示唆に富むピケティ、面白いですよ。
資本や財産、それに課税する正当性や合理性について、皆さんもピケティと一緒に考えてみませんか?

色々な入門書が出てますので、書店でパラパラとめくってみて、一番自分が読みやすいと思ったものをぜひ読んでみてください!

それでは、また明日。

おときた駿 プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。

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