社説は、歯切れ良く結論を書くべし --- 井本 省吾

アゴラ

20日、日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞の3紙が社説で一斉に夫婦別姓問題を取り上げている。


夫婦別姓を認めていない現行の民法の規定が憲法に違反するかどうかが争われた訴訟について、最高裁が大法廷で審理することを決めたことについての社説である。

日経のタイトルは「夫婦別姓問題を直視したい」、朝日は「夫婦別姓 多様な家族認めるとき」、毎日は「民法の家族規定 多様性促す憲法判断を」。

いずれも、最高裁は夫婦別姓に関する民法規定を認める判断を促す論調なのだが、書き方には濃淡がある。

一番はっきりと「夫婦別姓を認めるべきだ」と書いているのは朝日。次は毎日で「多様性を認めるという観点から議論を深めたいところだ」という意見。「議論を深めたい」として結論は出していないが、「多様性を認めるという観点から」という前提だから、ほとんど認めよと言っているに等しい。なのに、結論を出すのを避けている印象がある。

最も歯切れが悪いのは日経だ。

最高裁はいずれについても早ければ年内にも判断を示す見通しだ。政府も政治も、もはやこれらの問題から目をそらすことはできない。大事なのは幅広い国民的な議論だ。国民一人ひとりが自分のこととして、関心を寄せていくことが欠かせない

日経の見解は一体どっちなんだ、と言いたくなる。社説として優れているのは朝日、次が毎日、一番良くないのは日経だろう。なぜか。

社説は、読者の判断の参考になるものでなければならない。新聞としての社論、結論をきちんと示すのが良い社説だ。大手メディアにはその責任もある。「大事なのは国民的議論だ」などというのは古今東西、当たり前であり、何も言っていないに等しい。

第一、さんざん議論はされて来た。政府の世論調査でも国民に問うている。日経の社説自体、前掲の文章の前にこう書いている。

一審・東京地裁は「夫婦別姓は憲法で保障された権利とはいえない」として訴えを退け、二審・東京高裁も維持していた。
法務省の法制審議会は1996年に、夫婦が希望すれば別々の姓を名乗ることを認める「選択的夫婦別姓制度」を導入するよう答申を出している。しかし自民党内で反対論が出たことなどから、法案提出には至らなかった。その後も何度か議論が起きたが、具体的な見直しにはつながっていない

そのうえで、夫婦別姓の認定を促すかのような議論を展開している。

姓を変えるのはほとんどが女性だ。仕事などで不便が生じないよう、旧姓を一定の範囲で使えるようにする職場は多いが、使い分けに苦労する人は少なくない

社会のあり方や家族観が変わり、女性の社会進出も進むなか、約20年もの間、解決に向けた道筋が立たなかったことは残念だ

そこまで言うのなら、「議論を深めよ」などとどっちつかずの社説にせずに、朝日のように明確に夫婦別姓を認めよと書くべきだろう。

結論を避けているのは2012年の政府の世論調査で「夫婦は同姓にすべきだ」と「希望すれば旧姓を名乗れるよう法改正していい」が拮抗しているからだろう。

「家族の一体感が弱まる」「子供によくない影響がある」などの反対は今も根強い。それに対する配慮が日経にあり、毎日も同様の傾向がある。

これに対して朝日の社説は「(世論調査も)年代別では20~50代で『別姓許容』が上回る。今後の社会を担う世代の意識を重んじていくべきだろう」と高齢層を「突き放して」いる。

難しい、結論の出しにくいテーマがあることは承知している。だが、かなり以前から議論されている問題については根強い反対意見があっても自らの意見、判断、結論をきちんと示すのが、社説のあり方だと思う。

ただし、私の意見は朝日の社説に反対である(毎日、日経の社説に対してもほぼ同じだ)。夫婦は同姓の方が良いと思っている。

同姓にするか、別姓にするかの「選択の自由」を与えた方がいいという法制審の答申は一見、自由と民主主義を重んずる正しい考え方のようでいて(各紙の社説もそれに同調している)、日本の家族制度のあり方を考えた場合、望ましいかどうか。保守派の私としては否定的である。

そのことについてはかつてブログ(2013年11月26日付け「夫婦別姓と一夫一婦制」)に書いたので、興味があれば一読していただきたい。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月20日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。