国債市場の安楽死

小幡 績

日本国債は、もうすぐ暴落する。

このような警告は、何度も発せられてきた。しかし、それが実現することは、これまではなかった。だから、財政再建の必要性を警告した人々は、オオカミ少年と呼ばれ非難されてきた。しかし、今度は違う。

米国経済学者のロゴフの著作はThis Time is Differentだが、日本語訳の邦題は「国家は破綻する」となっている。こう並べると、今度こそ破綻する、という意味に受け取られそうであるが、実は、全くその逆である。


政治家たちは、財政赤字が膨らんでも、今度は違う、といつも主張する。政府が破綻することはない、現代経済は進歩した、発展したから、これまで以上に成長するから大丈夫だ、などの議論をして、必ず、今度は違う、として財政再建よりも拡張主義に走る。しかし、結局、好き勝手に借金をした結果、結局、今度も、いつも通り、国家はやはり破綻する、という意味なのである。

ロゴフの主張の第一のポイントは、政府の財政破綻は驚くべきことではなく、日常茶飯事、普通のこととして歴史上、世界中で起きてきた、ということである。だから、今度も、今世紀初頭に、成熟経済となっている、いわゆる先進国が財政破綻してもなんら驚くべきことではないし、その可能性は十分にある。ロゴフは、もちろん、米国に対する警告としても、この本を書いたわけだが、どこよりも当てはまるのは日本であることは間違いがない。

ロゴフの本からのレッスンの第二は、金融危機は3つの形を取る。国債などの債務返済不能、という名実ともに明らかな財政破綻となるのが第一の形である。しかし、遙かに多いのは、第二の形の高いインフレーションにより、債務を雲散霧消させるという形である。これは、政府が望んだか、望まざる結末となったのかは、どの場合にも不明であるが(なぜなら、望んで高インフレーションを起こしたと公言する政府も政治家もいない。そんなことをしたら国民に政治生命を抹殺されてしまうからである)、インフレにより財政破綻の危機を逃れることもある。これは、債務の実質的価値が目減りし、新しく入ってくる税収などで、債務が結果的に削減されることになるからである。第三の形は銀行危機である。大規模な損失、あるいは取り付け騒ぎにより、銀行セクター全体に不安が広がり、連鎖的に銀行が破綻する形である。

日本における破綻は、1のケース、つまり、政府が直接デフォルトするケースがイメージされている。債務不履行に陥るケースだ。しかし、この可能性は低い。とりわけ、あからさまに債務不履行を宣言するケースはほとんど考えられない。ギリシャやアルゼンチンでさえも、リスケジュール、つまり、債務返済の繰り延べを債権者と合意して、少なくとも一部は、時間をかけて返すことになる。だから、紙くずになるシナリオはほぼゼロと言っていいだろう。ただ、このリスケジュール、債務繰り延べは、デフォルトと区分されるから、このカテゴリーに入る。問題は、このリスケジュールが起きるかどうかだが、これも可能性は低い。

この分を「オオカミ少年」というのかもしれないが、それは間違っている。つまり、財政破綻による国債暴落は起きなくとも、実質破綻は起きるからだ。それはどのような破綻か。

それは、国債の買い手が市場から消える、という「破綻」である。国債市場の破綻、と言ってもいいだろう。

これは、既に起きている。しかも、意図的に起こされている。拙著「ハイブリッド・バブル」で指摘したように、日本国債は、込み入った構造のバブルになっていた。だから、安楽死的な様相を呈し、市場としては死にながら、表面上は価格が高位で安定した平和な市場であった。市場としての死とは、国債の価格がリスクを全く反映せず、制度的な要因や、銀行や生命保険会社、公的金融機関などの機関投資家の財政的な要因による需給により支配されて、市場価格が、国債の金融資産としての本源的なリスクに関する情報の役割を果たさなくなっていたことを意味する。

これをさらなるバブルとし、安楽死どころか金融市場の即死をもたらしたのが、日本銀行の異次元緩和であり、国債の大量購入政策であった。

この異次元緩和に対し、世界最大手の機関投資家のエコノミストは、日本国債を持ち続ける理由がなくなった、と宣言した。価格は暴騰し、一方で、価格変動は極大化し、かつ変動幅も安定せず、予測が全くできない状態になった。価格が最高値で、リスクが最大になったのであれば、売るには最高のタイミングだ。だから、メガバンクなどは急速にポジションを落としていった。

さらに、米ドルベースで投資のリターンを考える「普通の」世界の投資家にとっては、日本国債は、トレンドとして一方的に値下がりすることが明らかであった。もちろん、それは円安によるものである。円安というトレンドが定着すれば、日本国債を売る理由が増える、いや売る最大の理由となった。

しかし、実際には、2013年4月の異次元緩和の開始から2ヶ月程度の大混乱を経て、日本国債はむしろ価格上昇、金利低下トレンドに入った。これは、世界的な国債金利低下トレンドもあったが、国債市場における短期売買をするトレーダーたちが、日銀相手にトレードすれば儲かることを知り、短期売買に参入が拡大したからだった。結局、日銀が買ってくれるのであるから、一時的に値下がりすれば買い、それを戻したところで日銀に引き取ってもらえば良かった。完全なバブルになったのである。

さらに、バブルは爆発した。それが、2014年10月末の日銀の追加緩和である。さらに、国債を大量に買い増すこととなった。金利は急降下し、10年ものが0.2%を割るという自体となり、円安も一気に進み、1ドル100円前後から120円程度へと暴落した。

ここで、2013年4月にはメガバンクだったが、今回は、生保が重い腰を上げた。少しずつ進めていた日本国債から米国国債などへの資金移動を始めたのである。金利が低すぎて、しかも、生保の独壇場だった、20年ものなどの超長期債の市場も日銀に浸食され、牛耳られるようになってしまった。日銀の浸食により、短期売買のトレーダーが大量参入してきた。長期保有の生保にとっては、価格変動リスクは高すぎ、価格は最高水準と言うことで、新規投資ができないのはもちろん、利益を確定させ、資金を徐々に海外の国債などに移すしかなくなった。円安の急激な進行も、これを促した。キャピタルフライトが始まったのである。

これは、拙著「ハイブリッド・バブル」でも指摘したことだが、保守的な日本の生保が日本国債から海外国債へ資金シフトを本格化させるときが、バブル崩壊の始まりとなりうる。まさに、今である。

国債は、10年ものは0.1%台をつけた後、急上昇し、0.4%を超えたり、また低下したりと、乱高下を続けている。生保に続き、地方銀行、信用金庫なども少しずつ動き始めた。さらには、GPIFという世界最大の機関投資家も日本国債への投資を大幅に減らすと宣言し、日本国内の多くの公的年金、企業年金はこれに追随する動きを見せている。いよいよ、日銀以外に国債の買い手はいなくなってきたのである。

これこそ、国債の暴落である。国債市場の崩壊である。

金融市場の崩壊とは、買い手がいなくなることである。日銀が大量に買っているから書いてはいるが、日銀以外の買い手、日銀に売りつけることを意図していない、最終的な保有者としての買い手がいなくなったのだ。これは、市場の崩壊であり、日銀の値付けで価格は高いままだが、それ以外の買い手の価格は暴落している。暴落どころか、市場からいなくなってしまっている。これは、破綻と言えるだろう。

この現実が、誰の目にも明らかになる、正確に言うと、みんな分かっているのだが、事実として実現してしまうのは、新規発行国債の入札である。ここには、日銀はいない。ただし、現在もすべての買い手は、日銀の買値を踏まえて入札している。この日銀の動き、買い入れ価格とスタンスが不透明になれば、すべての買いは止まるであろう。すでに、先日、入札不調が伝えられた。これは、今後も静かに繰り返すだろう。

それが、爆発するのはいつか。確実に爆発するのは、日銀が買い入れ量を減らすと金融政策の方向転換を図ったときである。そして、これは必ずくる。無限に量的緩和を拡張することはできないからだ。そして、それは2016年である可能性が一番高い。2016年のリスクがある。消費税引き上げ延期の発表もあり得るからだ。
こうなると、投機筋はいよいよ、日本財政不安を煽って攻撃しやすい。国債は、日銀が一転して買い支える可能性もあるから攻撃せず、為替で円安を仕掛けるだろう。円安が株安を招き、国債は日銀の買い支えによって暴落はしないものの、それ以外の投資家は誰も買わない、という実質暴落、あるいは市場破綻であり、トリプル安、日本売りの実現と言っていいだろう。

もう一つのシナリオは、日銀が、このシナリオを恐れ、方向転換を図らない可能性である。これは、日本財政と日本金融市場の安楽死を招く。有効な資金活用がなされないまま、政府は赤字を垂れ流し、金利は低いままに抑えられ、無駄な投資も経営も生き残り、その結果、新規の産業、企業、個人は育たず、チャンスを海外に求め、目の前に広がるアジアのチャンス、新興国のチャンス、途上国のチャンス、それらを的確に捉える米国企業へ移転したり、アジアへ進出したりするだろう。日本は空洞化し、財政破綻も国債暴落も見た目には起きないが、経済の活力は失われ続け、安楽死へと向かうだろう。