悲劇を悲劇と思わぬために

北尾 吉孝

拙著『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)の中で、私は「天の啓示に気づくための四つの条件」として、「自分の目の前にある仕事、与えられた仕事に全力投球しているということ」「素直であるということ」「感謝」と共に、「心中常に喜神(きしん)を持つこと」を挙げました。


之に関して安岡正篤先生は、人生を生きる上で大事な3つのことに、「心中常に喜神を含むこと」「心中絶えず感謝の念を含むこと」「常に陰徳を志すこと」として、喜神を持つことを第一に説かれています。

此の喜神の「神」とは「精神の神、つまり心の最も奥深い部分を指す言葉」であって、先生曰く「喜神を含むとは、どういう立場に立たされようと、それに心を乱されることなく、心の奥深い部分にいつも喜びの気持ちを抱いてことに当たれば、どんな運勢でも開けないものはなく、上昇気流に乗ったように開けていくという意味」とのことです。

トップというのは、常に発光体でなくてはいけません。トップが暗い顔をしていると、会社の運気を悪くするだけです。そしてトップのみならず、人間にとって暗いというのは良くないことです。常に明るい心、喜神を持たねばなりません。

人間、幸福であるか否かは極めて主体的なものです。幸福を感ずるため何が必要かといった時、その一つが喜神を含むということです。ところが一旦悪い境涯に陥るとなれば、此の喜神はなくなってしまいがちです。「なんで俺だけ…。俺の何が一体悪いんだ」「天道ってあるのか?神っているんだろうか?」といった具合に、結局周りが全て悪いとなるわけです。

『論語』の中に、「君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む」(衛霊公第十五の二十一)という孔子のがあります。君子は何事も自分の責任として捉え、その一切を人のせいにしない。小人は何でも人のせいにするということです。小人は人の責任にしないと、ノイローゼや鬱病にもなりかねません。

しかしたとえ小人でも、心中喜神があれば、そうした類を患いません。どんな苦難も苦難と思わなくなります。悲劇を悲劇とも思わなくなってきます。だから、そういう心を常に持つことが「人生の極意」であり、如何なる時世にあっても、その中で生きて行くことが出来る術なのだと思います。

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