アメリカン・スナイパーは英雄か --- 長谷川 良

アゴラ

クリント・イーストウッド監督の映画「アメリカン・スナイパー」が世界で上演中で、多くの観客を惹きつけている。同映画はアメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズの伝説のスナイパー、クリス・カイルを描いた映画で、第87回アカデミー賞で6部門にノミネートされ、音響編集賞を受賞した映画だ。イラク戦争を舞台に1人の若きスナイパーの姿が描かれている。


独週刊誌シュピーゲル(2月14日号)は、「スナイパーが果たして戦争の英雄かで米国の世論が2分している」と報じている。自身は安全な場所にいて、敵を射撃するスナイパーは従来の伝統的な戦争の英雄像とは成り得ないという声と、味方を敵の攻撃から守るため敵兵を冷静に射殺していく射撃兵は英雄だ、という反論がある。映画のスナイパーのカイルは安全な場所から敵兵を射撃することに一種の後ろめたさを感じ、前線にも出ていく。

1974年、テキサス生まれのカイルは2003年から09年、過去4回、イラク戦争に参戦し、160人を射殺し、アメリカ軍史上最高の狙撃兵という名誉を受けてきた。彼の伝記「アメリカン・スナイパー」は米国で100万部以上のベストセラーとなった。カイルは海軍を退役後、民間軍事会社を創設し、戦争で負傷した兵士の支援にも乗り出していた。そのカイルは2013年2月2日、カウンセリングの一環として実施した射撃訓練の場で、元海兵隊員エディ・レイ・ラウス(27)によって射殺された。

そのラウス被告に対する裁判が24日、テキサス州の裁判所で開かれ、終身刑の有罪判決が言い渡されたばかりだ。検察側は、「ラウス被告は麻薬の乱用で精神的不安定だったが、殺人当時、善悪の識別能力はあった」と主張。弁護側は、「ラウス被告はPTSD(心的外傷後ストレス障害)下にあった」と反論した。同裁判を報じたシュピーゲル誌によると、陪審員の1人は、「ラウスは米国の英雄を奪っていった」と批判したという。

イラク戦争、アフガン戦争の米帰還兵の多くはPTSDに悩まされて、日常生活に復帰できずに葛藤する。カイルも同様だった。妻や子供たちと談笑していても、彼の心は戦地にあった。彼は伝記の中で、「自宅、路上、周囲に置かれたゴミ袋を見る度に、その中に爆弾が仕掛けられているのではないかと考える」という。

21世紀に入って、無人機が導入され、コンピューター主導の最新兵器が戦争の成果を左右するようになった。同時に、従来の「戦争の英雄」はいなくなってきた。スナイパーに戦争の英雄像を求めるのは分かるが、戦争には勝利者も英雄もいないのだ。内外共に深く傷ついた生身の人間だけが存在する。どのような理由からとしても、他の人間を殺せば、殺した側に消すことができない痕跡が心の中に残る。クリーンな戦争など存在しない。

2011末現在、イラク、アフガン戦争の帰還兵約135万人の約16%にあたる21万人がPTSDに悩まされているというデーターが発表されたことがある。カイル自身もスナイパーとして名を挙げ、伝記まで出したが、やはり内的葛藤の日々を送り、戦地ではなく、故郷テキサスで悲運にもPTSDに悩む元海兵隊員によって射殺されたのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年2月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。