少し古くなるが、2月18日の参院本会議で民主党の柳沢光美氏が「強い者しか生き残れないという米国のような新自由主義の国にしたいのか」とただしたのに対し、安倍晋三首相はこう答えた。
我々は(市場原理を重視する)新自由主義的に政策を進めていく考えはない。デフレ脱却と経済再生を目指しつつ、全体の底上げをしっかりと行っていく
「新自由主義で格差を拡大するのか」という民主党的な批判について、心自由主義を否定し、格差論争をかわした形だ。
だが、市場原理の追求と格差の縮小は、やり方次第で両立できるのではないか。新聞記者をしていた最後のころの2009年、ある生活用品企業の経営者に「成果主義」について質問した際、こう言われた。
「成果主義で経営するなら社長はいらない」。
能力主義の経営に否定的なのだ。今どき珍しい年功序列に近い考え方の持ち主である。理由はこうだ。
「能力の劣る人間を引き上げ、全体の力を上げるのが社長の仕事と考えている」
弱者を保護する市場原理否定の考え方に立ってのことではない。むしろ逆だという。理屈はこだ。
どこの会社でも上位1~2割は優秀で、企業間格差は上位の人間では決まらない。途上国を見てもエリート層は優秀で先進国と大して差はない。問題は残り8~9割、特に下位2~3割の差が大きい。
下位の水準を高める仕組みを持った国が先進国に脱皮する。同様に優良企業は全体の士気と能力を高める仕組みを持つ。そのシステムづくりこそ社長の仕事というわけ。
野球でも上位にいる3割打者を3割5歩の打率に引き上げるのは容易ではない。しかし、打率1割の下位打者なら、素振りに始まって基本練習をみっちり指導すれば、1割5分にするのはそれほど難しいことではない。
上位2割の打者の打率を5分引き上げるコストと時間よりも、下位2割の1割打者の打率を5分引き上げるコストと時間の方が数段少なくて済む。経営資源を分配に当たり、下位引き上げに注力した方が断然、投資効果は大きく、企業業績も高まる。結果として格差も縮小する、というわけだ。
ここまで読んで「何か変だ、それって屁理屈だよ」と感じる向きは少なくないだろう。実際、プロ野球では3割打者と2割打者では年俸はけた違いだ。なぜか。2割打者では相手の2戦級投手のボールはヒットにできてもエースの球は容易に打てない。だが、3割打者はここぞという時に一流投手からヒット(ないし)ホームランを打ち、チームを勝利に導くことができる。
ビジネスの世界も同じだ。ライバル企業をしのぐ高質の商品を開発できるのは、やはりトップに一流技術者であり、商戦の肝となる営業活動で優れたシナリオを書き、実践できるのも第一級の営業マンだ。その活躍は時に経営の屋台骨にかかわる。
だから、成果によって格差をつけるのはやむを得ない。だが、あまり格差をつけるのはどうか。トップ重視の経営では従業員間の協調性が減少し、組織力が弱まり、企業業績も悪化する。野球でも花形選手ばかり引き上げる監督よりもチームワークを重んじ、全員の士気を高める監督の方が勝率がいいのではないだろうか。
したがって、格差は一定程度に抑えた方が市場競争を勝ち抜いて企業全体は良くなる。
池田信夫氏は「『あたまがいい』とはどういうことか」と題したブログで、「人類と類人猿との根本的な違いは協調性だ」という論考を紹介し、「チンパンジーは人間によく似ているが、決定的に違うのは彼らがグループの中で競争はするが協調しないことだ」と指摘している。
そして、生産の大部分が他人との分業で行なわれている現代社会では、競争よりも協調や推論ができることが重要という趣旨のことを書いている。
競争一辺倒よりも協調できることが市場を生き抜くカギとなるのであり、それにはチーム全員の力を底上げし、円滑なコミュニケーションをとりながら、お互いの長所を生かし合う行動をとる企業が伸びて行く。結果として従業員の賃金格差は縮小する(少なくとも極端に開かない)。
やはり市場原理と格差縮小は両立する、と見ていいのではないか。ちなみに、成果主義に否定的な上記の会社の経常利益率は10%を超えていた。格差よりもチームワークを大事にした結果と思える。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月27日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。