3月10日は70年前、東京大空襲のあった日で、新聞ではこれを論じる社説やコラムが目立った。だが、その論調は久しい以前から変わらず、「戦争は悲惨だ、日本はこうした悲惨な戦争に無謀にも踏み込んだ。二度とこういう事は起こしてはならない」というものだ。空襲による無差別殺戮を繰り返した米国の行為を厳しく問う文章は皆無に近い。
たとえば、日本経済新聞の社説「東京大空襲70年が問うもの」。
70年前のきょう、東京の下町一帯は米軍機による猛爆を受け、わずか一晩で10万人余の死者をだした。被災家屋約27万戸。太平洋戦争における民間人の犠牲のなかでも、沖縄戦や広島・長崎への原爆投下とならぶ最悪の被害だ
ここまでは事実を記載しただけのこと。問題はここから先だ。
戦争というものは、最後には前線も銃後も隔てがなくなる。東京大空襲は当時の日本人に、そんな現実をまざまざと見せつける出来事であった。あの大戦末期の不条理の象徴といえる
老人や子供など非戦闘員に対する国際法違反の無差別殺戮という米国の不条理な行動を具体的に示す記事はない。そして、当時の日本の政府、軍部の行動を非難する結論で終わる。
ことここに至る前に、なぜ戦争をやめられなかったか……(米軍が日本本土空襲への態勢を整えた時点で)日本の敗北はほぼ決定づけられたにもかかわらず、当時の戦争指導者たちは泥沼に突き進んだ。……本土への間断なき空襲や沖縄での地上戦は、こうした経緯によって必然的にもたらされた事態だった。終戦があと1年早ければどれだけ多くの人命が救えたか。その決断ができないまま本土決戦を叫んだ指導層の罪は深い
「悪いのはあくまでも日本の軍国主義政権。米国の罪は問わない」というスタンスだ。
また、ドイツがドレスデンで空襲を受けたり、英国のロンドンがドイツ軍の空襲を受けたりするなど、日本だけが被害を受けたのではないと書いて、日本の空襲被害を相対化する記事も少なくない。日本は空襲では加害者でもあったということもしっかり書く。たとえば、朝日新聞の10日付けコラム「天声人語」。
焼き尽くされた首都。その惨状をつぶさに収めた『決定版 東京空襲写真集』(勉誠出版)は、ページを繰るごとに胸が痛む。母親と赤ん坊が、炭化した塊となって重なり合うむごい写真もある▼思い出すのは、かつて小欄に引いた詩の一節だ。〈骨と肉とはコークスとなり、かたくくっついて引離(ひきはな)せない。ああ、やさしい母の心は、永久に灰にはできないのだ〉。しかしこれは東京ではない▼日本にもなじみ深い中国の文人、郭沫若(かくまつじゃく)が重慶の惨事を言葉にとどめた(上原淳道訳)。日本軍が空爆を繰り返した都市である。だから日本の空襲被害は仕方ないと言うのでは、無論ない。無差別爆撃という蛮行が、第2次大戦で大手を振った
こうして話はドレスデンなどの空襲へと展開される。まるで、日本の空襲被害だけを見つめたり、その悪夢をもたらした米国を批判したりすることを恐れるかのようだ。当時の日本の政治指導者や軍部への批判を必ず書いておかねば安心できないかのようだ。このマスコミの姿勢はどこから来るのか。
江藤淳氏は著書「閉ざされた言語空間」の中で、こう記している。
『軍国主義者』と『国民』の対立という架空の図式を導入することによって、『国民』に対する『罪』を犯したのも、『現在および将来の日本の苦難と窮乏』も、すべて『軍国主義者』の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の部差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、『軍国主義者』が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落とした米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである
戦後の日本占領時代、米軍は米国はじめ連合国を少しでも批判するような記事を新聞や雑誌に書くことを許さなかった。徹底した言論弾圧があった。そのことを指摘することすら恐れる今のマスコミの風潮は、その言論弾圧のトラウマ、恐怖が今も続いているためと思える。まさに戦後の閉ざされた言語空間は今も続いている。
現在も米国政府は、日本が当時の米軍を批判することに敏感だ。そのため、大手メディアは当時の歴史について米国を批判したら、どんなしっぺ返しを受けるだろうか、江戸の仇を長崎で討たれないかと、恐れているのだろう。
安部首相の「戦後レジームからの脱却」はそのことをも含んでいる。だからこそ、米国は安部首相の「戦後70年談話」にあれこれと注文を出すのだろう。この問題の解決は容易ではないが、それでも、いや、だからこそ「戦後レジームからの脱却」は進める必要がある。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年3月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。