前回のブログ「東京大空襲回顧記事に見る『閉ざされた言語空間』」では、「悪いのは戦争を起こした日本の軍国政治」という結論が今でもはびこっていると見る江藤淳氏の視点を記した。
占領米軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」のもと、戦後、日本人に戦争贖罪意識を植え付けるために検閲を周到に実行した。それが独立した現在もマスコミや言論界を覆っているという見解だ。
日本は現在、安全保障面で米国に依存しており、米国を怒らせてはならないという考え方がこれを後押ししている。
さらに、日本では「いつまでも恨み辛みを引きずってはならない」「水に流せ」という美学があることが、「閉ざされた言語空間」の壁を高くしてい。
「和を尊ぶ」日本の精神が米国に歩み寄る形で過去を収めている。
福田恆存氏は「日本および日本人」という論文の中で、和を重んずる日本人の特質をこう記している。
相手と自分のあいだに摩擦のない状態を無条件に喜ぶ
よく日本人の口にのぼる『すみません』ということばは、かならずしも自分の非を認めたことを意味しないので、多くの場合、相手との摩擦を避けるための潤滑油として用いられます。……日本人にとって、どっちが正しいかということは二義的なことなのです。大切なのは摩擦という醜い状態から早く脱して、和合に到達することであります。そのために少し自分が悪者になっても、一向平気だといった傾向さえあります
これほど現在にも通ずる適切な日本人観察があろうか。従軍慰安婦の強制連行を認めるかのような河野談話など典型的だろう。当面の日韓関係の摩擦が除去できるならば、多少日本が悪者になっても構わない。戦後の日本外交全体にこの傾向が強く見られる。
日中関係、日米関係すべてにわたって、この摩擦回避外交の咎めが今になって大きく浮上している。日本が弁解するほど、中国、韓国、そして米国も嵩にかかって非難してくる。それが保守的で独立志向の強い日本人を中心に、鬱屈した反米観を育み、反中韓感情を助長してもいる。
では、どうやって日本は「閉ざされた言語空間」を脱して、健全な形で自己主張を展開すればよいのか。
評論家の「銀幕に見る日米関係――『宿命』を越える道とは」と題する論文(「別冊正論13 日米『宿命』の対立」所収)で、有益な構想を提供している。
心理的に優位な立場にある相手(中韓米――引用者注)との関係を変えてゆこうとする際、攻撃的な自己主張をするのは逆効果なのだ。攻撃的な自己主張の根底には「自分の立場を受け入れてほしい」「自分の側に合わせてほしい」という欲求がひそんでおり、ゆえに相手(中韓米)はそれを拒絶したり、いろいろ条件をつけたりすることで、みずからの優位を維持し、こちらへの影響力を保ちうる
まさに中韓、そして米国は日本の反論、弁解に対して「待ってました」とばかり、言い募る傾向をある。彼らにとってはカモがネギをしょった行動になるのである。
「日本は慰安婦問題で誠意を見せろ」という朴・韓国大統領が繰り返して唱える発言など典型的である。何を示しても「それでは誠意にならない」といえる。際限なく日本を非難し、心理的優位を無限に継続できるという構造になる。こんな発言に付き合ってはならない。
佐藤氏の論説を続けよう。
効果的なのは、友好的な態度を保ったうえで「自分に合わせてもらう必要はないが、相手に合わせるつもりもない」という、確固とした主体性を示すことである。こちらは相手を否定する意思がなく、かつ相手に何も要求していないため、この姿勢をとれば対立はエスカレートしない。同時にこちらからは何も要求していないのだから、相手に合わせないことについても正当性が生じよう。かくて相手側は、こちらに譲歩を迫ることも、こちらの要求を逆手にとる形で強く出ることもできず、影響力を行使しえなくなる
安倍政権が「対話のドアはつねに空けてある」「韓国は重要な隣国」としつつ慰安婦問題で「賠償などはすべて日韓基本条約で解決済み」という姿勢を堅持しているのは、まさにこれで、外交として合格点だろう。
「尖閣問題の存在は認めよ」「靖国参拝はするな」「でないと、首脳会談はしないと迫る中国に対しても「首脳会談は条件なしで行うべき」「対話のドアはつねにオープン」としているのも、外交姿勢として良い線を行っている。
米国に対しても同様だろう。「米国は日本にとって最大の同盟国だ」という大前提を崩さず、米国の歴史観を否定はしないが、日本には日本の歴史観があるという考えをそろそろ打ち出していいのではないか。靖国参拝も「日本人の宗教観を大事にしたい、でも、それに対し各国が別の考えを持っていることは認識している」と言えばいいのである。
「アグリー・トウ・ディスアグリー、考えに同意できない点があることにお互い同意しようではないか。でも、友好関係、同盟関係は今も将来にわたって続けよう」とにこやかに話す姿勢が大切だ。
佐藤氏は次のように結んでいる。
(自己の基盤を見きわめつつ、異質の基盤との共存をはかる下地を持つことは)取りも直さず「相互理解の欠如を受け入れ、かつ友好関係を持続する強さ」を獲得することにほかならない。かかる強さを獲得したとき、アメリカとの心理的な優劣関係も解消され、同国との対決も「宿命」ではなくなるのである
口で言うほど簡単ではないという反論はあろうが、有意義な主張であることは間違いあるまい。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年3月12日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。