ウィーン大学650年の光と「影」 --- 長谷川 良

アゴラ

ウィーン大学は1365年3月12日、ルドルフ4世(ハプスブルク家の当主、オーストリア公)によって創立された。ドイツ語圏最古・最大の総合大学だ。同大学創立650年を迎えた今月12日、フィッシャー大統領や各界の著名人を迎えて創立記念式典が行われた。今年10月まで100を超える様々な記念行事が大学内外で行われる予定だ。ちなみに、バチカン放送によると、ローマ・カトリック教会のローマ法王フランシスコはウィーン大学創立650年を祝賀する祝電を送ったという。


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▲ウィーン大学創立650年記念祭(オーストリア国営放送のHPから)

ウィーン大学は今日、4人に一人の学生が外国人学生といわれるほど国際色は豊かだ。外国人学生の中でも隣国ドイツからの留学生が多くを占めている。特に、ドイツの大学医学部に入学希望者が多すぎて入学できなくなった学生たちがドイツ語圏のウィーン大学医学部に入ろうとするケースが増えてきた。

ドイツからの学生殺到のとばっちりを受けているのは地元のオーストリア人の学生たちだ。オーストリアではマトゥ-ラを合格したギムナジウムの学生は自動的に希望の大学、学部に入学できたが、外国からの留学生が増加し、定員の数倍の学生が入学を希望するため、入学試験を実施する学部が増えてきた。特に、医学部はそうだ。日本の大学ほどではないが、競争率は平均3~4倍だ。

ウィーン大学は昔は「世界のベスト100大学」の常連だったが、最近はベスト100外だ。ミッタレーナー副首相(兼科学研究経済相)は「大学ランキングの結果に神経質になる必要はない。米・英・アジアの大学教授たちの“イメージランキング”に過ぎない。専門分野のランキングではウィーン大学は悪くないはずだ」と弁明。政界や学界からは「教育への投資を増やすべきだ」という声が聞かれる。

参考までに、同大学出身者から10人のノーベル賞受賞者が出ている。日本人にも良く知られている受賞者はコンラード・ローレンツ(動物行動学)やフリードリヒ・ハイエク(経済学者)だ。人間の血液型を発見したカール・ラントシュタイナーもウィーン大学卒業者だ。

ところで、ナチス・ドイツによるオーストリア併合(1938年)直後のウィーン大学は650年の歴史の中でも最も暗い時代だった。ナチス・ドイツによるオーストリア併合後、ウィーン大学も急速にナチス党員によって支配され、シュペート、クノル大学総長らはヒトラーを率先して支援する一方、ユダヤ系教授、学生たちは市民権ばかりか、学位なども剥奪されていった。多くの大学教授や研究者は外国に亡命していった。

創立650年記念行事の一環として、「併合後、外国に亡命した大学教授や研究家たちの帰国問題」についてのシンポジウムが開かれたが、参加者の報告によると、海外に亡命した320人以上の大学教授のうち、戦後帰国した数はその15%にも満たないという。政治的理由から亡命した教授たちはウィーンの大学に戻ってきたが、ユダヤ系教授たちは亡命先の米国などに留まり、ほとんど戻ってこなかったという。オーストリア側が亡命した教授や研究家の帰国に余り積極的ではなかったからだ、といわれている。
 


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年3月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。