八紘一宇というグローバル・ジハード

池田 信夫


テンションの低かった国会に、久々にお笑いネタが出た。三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言だ。そこで彼女は「昭和13年に書かれた『建国』という書物」を紹介する。

八紘一宇とは、世界が一家族のように睦みあうこと。一宇、すなわち一家の秩序は、一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が、弱い者のために働いてやる制度が家である。[…]世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができたとき、はじめて世界は平和になる。


彼女はこれを「グローバル資本主義の日本がどう立ち振る舞うべきかというのが、示されている」というのだが、おもしろいのはこれが租税回避に関連して出てきたことだ。国会の発言だけでは真意がわからないが、彼女はおそらく「税率の低い国に税金を納めて自分だけよければいいという考え方は八紘一宇の精神に反する」といいたかったのだろう。

これは私も『資本主義の正体』で論じたように、深刻な問題である。ピケティによれば、世界の総資産の1割が租税回避で「地下経済」化している。租税による公共サービスの提供という近代国家の前提が崩れ始めているのだ。

では、これをどう解決すればいいのか。もちろん八紘一宇では話にならないが、ピケティの提案する「グローバルな資本課税」もそれと同じぐらい空想的だ。根本的な問題は、近代国家の負担と受益の原則が崩れ、大規模なフリーライダーが横行していることだ。

これはネグリも指摘した近代国家の根本的なパラドックスである。居住・移転の自由は憲法で保証されているのに、なぜ国境を超えた移民は禁止されているのか。それは近代国家の最大の機能が財産権の保護、つまり資本家が植民地や労働者から掠奪した富を守ることだからである。

このように近代国家は資本主義を守るシステムだったが、インターネットはその根拠となる国境を超え、暗号化などによってセキュリティを実現した。こうしたテクノロジーで財産が守れるようになると、資本は税負担を回避して世界に拡散する。このようなグローバル資本主義の矛盾に対するラディカルな反抗が、「イスラム国」のグローバル・ジハードである。

見方を変えると、金融資本とイスラム原理主義は、逆の方向から(中田考氏のいう)「世界を収奪して支配する領域国民国家というリヴァイアサン」を破壊し、グローバルな新秩序を建設する第一歩かもしれない。三原氏や安倍首相の信じている天皇制ナショナリズムは、そこから2周遅れである。