ビジネスマンは無心になれるか

北尾 吉孝

雑誌『GOETHE』(15年4月号)に、「ダボス会議に出席した僧侶が教える無心になる方法」と題された記事があります。

その中に、「何か物事を成し遂げようという時に大切なのは、心技体だといいます。けれど、心を磨くのはなかなか難しい。そこでお薦めしたいのが、心、すなわち頭を空にすることです」という松山大耕さん(退蔵院副住職)の言が載っています。


そして松山さんは、「最初から無心になることはとうてい無理だが、反復することで、意識しなくてもそういう状態に身を置けるようになる」と言われていますが、此の現実社会で時間に追われ日々仕事をしなければならない人にとって、無心になるのは極めて難しくほぼ無理と言っても過言でないと思います。

当該問題に関し私自身が思ったことは、「放心」ということです。人間の本性には「良心…他者と心情的に共感し善へ向かおうとする心理傾向」と「放心…外界の事物に動かされて欲望を追求する心理傾向」の二つの傾向があります。

孟子は「学問の道は他無し、其の放心を求むるのみ」(告子章句上の十一)と言い、「仁義の良心を放失するという重大事態を問題にして」おり、孟子的観点から述べますと人間、無心にはなれなくても放心を出来る限り避けるということが大切です。

四字の熟語で言うならば、「去欲存理…欲を捨て去り天理に存す」とか「則天去私…天に則り私を去る」の境地が求められるということだと思います。

前者は「自然的欲を天理として肯定すると共に、それを超えた過度の欲を人欲として抑制すべきだとするもの」、後者は「自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの」であります。

人間はややもすると、その心というものが直ぐに彼方此方に行ってしまいます。時々刻々移ろぐ心を如何にして不動のものとするか、之こそ東洋における長い間の修行の対象でありました。

此の人間社会の中で、中々無心になることは難しいかもしれません。しかし、上記のように「放心しない」で「去欲存理」や「則天去私」の境地に達するべく自分を律して行くことが大事なのだと思います。

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