「国家間に友情はない」 --- 井本 省吾

アゴラ

上記は2013年2月から昨年11月までオバマ政権の国防長官を努めたチャック・ヘーゲル氏の発言である。舞台は、元NHKワシントン支局長を勤めた日高義樹氏のテレビ東京のインタビュー番組「日高義樹のワシントン・リポート」。2007年6月のことで、当時ヘーゲル氏は米上院外交委員会代行だった。

人間同士には友情があるが、国家間には友情はない。あるのは共通の利益だけだ

共通利益を求めて他国と連携したり、同盟を結んだりする。最大の共通利益は安全保障の確保だ。敵対的な国家ともできるだけあつれきや摩擦を少なくし、宥和を図る。それが外交だ。だから首脳同士がにこやかに握手し、レセプションで胚を交わして「友情の演出」はするが、人間同士のように本当の友情があるわけではない。

ヘーゲル氏は、この言葉の源はフランス革命、ナポレオン時代、ブルボン王政などを生き抜き、権謀術数をもって知られるフランスの外交家タレーランという。まさに「国家間に友情はない」とは欧米、いや世界の常識なのである。

これは「国家間でも『演出』だけの友情はいけない、そんな偽りの友情では真の友好関係は築けない」と考えがちな日本人に対する強烈なアンチテーゼではなかろうか。一般庶民だけでなく、政治家やプロの外務官僚まで本気で友好第一をモットーとする姿勢が強いのが日本である。

そこを見抜いてさんざん「友好」を殺し文句に日本を利用してきたのが中国だろう。「日中友好」という錦の御旗を掲げれば、日本側は譲歩し、中国の主張を飲むと思って政略、戦略として活用してきた。「歴史を鑑に」「歴史を直視せよ」というのも、日本が「過去の侵略」に弱いと思っているからだ。何度でも使えると思っている古証文。韓国が「慰安婦問題」を繰り返し持ち出すのも同じである。

そして、自国の国益にとって必要なときだけ、日本と仲良くするフリをする。前回のブログで、岡崎久彦氏の「隣の国で考えたこと」(日本経済新聞社)の中に出てくる文章を再録しよう。

私(岡崎氏)が尊敬している某教授が明快に指摘したところによれば「根本的に見て、われわれが日本に関心を持つのは、日本が韓国の経済成長に継続して寄与してくれるだろうという期待であり、それ以上のものではないと考えています」とのことです

これに対して岡崎氏はこう論評している。

日韓の長期的な将来を考えれば「金の切れ目が縁の切れ目」のような関係しか持てないことは痛恨事であると思います

私は、将来の日韓友好関係の維持と発展のためには……両国の相互理解を深め、相互の偏見を除くことが第一歩であり、最終目標であると思います

岡崎氏には「戦略的思考とは何か」(中公新書)という優れた国家戦略論があり、ナイーブな友好論、友情論に終始する外交官ではない。本気の友情を示す「戦略」が、一衣帯水の隣国と強固な安全保障同盟が築けるということだったとは思う。

ただ、今から本書を読むと、それでも日韓関係について甘さが残っていると見ざるをえない。韓国の冷淡な態度は岡崎氏が「隣の国で考えたこと」を書いた当時と変わらず、むしろ悪化しているからだ。
1月に書いたブログで引用した韓国の李明博前大統領の言葉は、岡崎氏が「隣の国で考えたこと」で紹介した韓国の某教授の言葉とそっくりなのだ。

李前大統領は日本の右傾化について、「危険なレベルに達している」と批判しながらも、「韓国の3番目の貿易相手国で、緊密な友好国であることも否定できない」と指摘。「歴史や独島(竹島)問題では原則的に対応しても、経済・文化・安全保障分野では最も緊密に協力すべき対象」との認識を示した

要は「金の切れ目が縁の切れ目」なのである。韓国は新羅の時代からそうだったということは、岡崎氏自身が「隣の国で考えたこと」で記している。

唐と戦争している間は日本に後方から攻め込まれてはかなわないので屈辱的なまでに丁重にしていたが、唐との関係が良くなると急に冷たく、傲慢な態度をとるようになる。

中国との関係が密接になった韓国が、日本に傲慢な態度をとるのと類似している。

こうした韓国とはどういう態度で臨むのが良いか。岡崎書によると、新羅が滅び、高麗国ができると、高麗は盛んに日本に修交を求めたという。中国の経済バブルが崩壊したりすれば、またぞろ日本にすり寄ってくることが考えられる。

その際、当時の日本の朝廷は「朝鮮という国は変節常無し」としてこれを許さなかった。しかし、高麗が重ねて要求すると、使者は受け入れないが、通商は禁止しないという措置をとった。一種の政経分離である。

現在の日本もこの政経分離で臨むのが一番良いのではないか。友情とか友好などは考えず、ギブ&テイク、ドライにそろばんを弾いて接する。過去の日韓関係を振り返っても、そのように淡々と付き合うことがケガを少なくし、また関係が長続きさせるのではないだろうか。
 


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年3月23日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。