「国家間に友情はない」と言っても付き合うのは生身の人間である。大統領や首相、閣僚、高級官僚など個々の人間が交流し、交渉する中で関係が築かれる。
共通の利益を目指して連携し、対立点があれば議論、交渉を重ね、摩擦が紛争、戦争に発展しないように妥協点を探る。それが外交交渉だが、人間同士がやる以上、虫酸が走るような相手よりも気が合い、会話が弾む相手の方が決定的な対立を回避しやすい。妥協点を探る交渉も円滑に進むだろう。
「鉄の女」といわれ、ソ連のゴルバチョフ元大統領、米国のレーガン大統領とともに、米ソ冷戦、東西対立を終結させた英国のサッチャー首相は1984年、まだソ連の政治局員だったゴルパチョフをロンドンの首相官邸に迎えた後、記者団の前でこう言った。
「彼となら一緒に仕事ができる」
以後、世界的に有名になった言葉だ。会談では筋金入りの自由主義者にして反共主義者のサッチャーは、ゴルバチョフに向かってソ連の軍事的脅威と全体主義体制を厳しく批判する言葉を投げかけた。対するゴルバチョフも社会主義体制の優位を強く主張し、議論は白熱化した。
しかし、ゴルバチョフの語り口は従来のソ連の政治家や共産党幹部のように硬直的ではなく、ソフトでジェスチャー豊か。良く笑った。サッチャーがゴルバチョフに好感を持ったゆえんである。
ここから東西冷戦終結の道が開かれた。サッチャーはゴルバチョフとの間で信頼関係を築くと、レーガンとゴルバチョフの橋渡しに努め、緊張緩和、冷戦終結へとつながって行った。
だが、両者の信頼関係構築があったから、冷戦終結になったと見るのは単純すぎよう。サッチャーに「気に入られた」ということは、ゴルバチョフが英国や米国など西側世界にとって「御しやすい」存在、国益上望ましい人物と見られたことを意味する。
ゴルバチョフはその後ペレストロイカ(改革)を進め、チェルノブイリ原発事故を契機に、グラスノスチ(情報公開)を推進した。これは西側陣営にとって望ましい動きだ。
ゴルバチョフはなぜ西側の首脳陣を喜ばせる方向に進んだのか。ソ連経済の破綻に向かう中、そうせざるを得なかったというのが正解だろう。ゴルバチョフでなくとも、ソビエト連邦崩壊を眼前にして遅かれ早かれ西側陣営に妥協、譲歩するしかなかったのだ。
ゴルバチョフにとってサッチャーとの信頼関係は、妥協の道を円滑に進め、ソ連崩壊後もロシアとして再生する道を築く上で効率的だったということもできよう。やはり国家間に友情はない、あるのは共通の利益と言っていい。
重ねて言えば、それでも、好感の持てる相手、友情を感じる相手の方が話は円滑に進み、お互いの利益を増進することは間違いない。
日韓関係について言えば、戦後、一方的に日本海・東シナ海に軍事境界線の李承晩ラインを設定した韓国の李承晩・初代大統領を、日本の吉田茂首相は蛇蝎のごとく嫌っていたと言われる。
両者の日韓交渉は難航を極めたが、両首脳の険悪な人間関係も大きく影響しただろう。朴正煕・大統領の時代になって日韓基本条約が結ばれるが、朴大統領と日本の首脳陣との信頼関係が条約推進に役立ったのも間違いない。「彼となら仕事ができる」と。
ただ、その背景には共産陣営との冷戦のもと、米国主導の西側陣営構築を進める中で、対立を続けているわけには行かないという事情があった。自由主義陣営に属するという共通利益があればこそ条約が実現したのもまた確かである。首脳間の信頼、友情だけでは実現できなかっただろう。
やはり「友情は個人間のもので、国家間には友情はない。あるのは共通の利益だけ」なのである。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年3月24日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。