サービス業 マニュアル時代の終焉

岡本 裕明

最近読み物をしていて目につくのが「考えること」を強調している記事、書き物でしょうか?今さら何を言われると思いますが、世の中IT革命で様々なことをコンピューターが考え、人間生活は楽になる一方であります。「動かず、考えず、何もせず」でも生きていける時代になったと言えます。


人は考える癖を止めると脳が錆びつき、考えることを意識しないと思考回路が回らなくなります。朝、起き掛けは誰でもほぼ毎日同じ行動パタンを踏んでいるはずですが、それは意識しない動物本能から来るものであります。それが朝だけでなく一日中続いていたら人間の脳ミソはドンドン小さくなってしまいます。私が時々「脳ミソに汗をかけ」というのは一生懸命考えることを意識しないともはや、脳ミソサーキットは動かなくなるよ、という意味でもあります。

外国生活に長い私は日本のチェーンレストランに行くとこれほどつまらないサービスはないと思うことがしばしばです。完全マニュアル化され、極小のスタッフ数で店員は店内を駆けずり回り、サービスは注文を取り、持ってくる以外に何もありません。コンビニでも同じで店員と会話して新たな発見をすることはまずないでしょう。

当地の中級以上のレストラン。サーバーが自分の客のところに何回足を運ぶかでその店のサービスが分かるという言う人がいます。ワインでも頼めばサーバーは注ぎに来なくてはいけませんから10回近く来ることになるでしょう。その時、場が盛り上がっていなければ心地よい言葉をかけて和ませる心がけも忘れていません。

北米のスターバックスはマニュアルを超えたサービスを提供するとされています。それは客とスタッフ(パートナーと呼びますが)の間のわずかな接点においてお客様の顔や様子をうかがい、何かできることがあればやってあげようという精神が一杯なのです。クレームのドリンクの作り替え、深い悲しみを抱えているお客様に哀悼の意を表し、無料でコーヒーを差し上げるなどはごく一例でしょう。マニュアル文化のアメリカ発の企業においてなぜ、非マニュアル的なことが日常起きていて、それが高く評価されているのでしょうか?

私は高度に進むIT化社会の中で人間が人間として接点を持つことを重視しているのだろうと思います。アブラハム マズローの欲求五段階説は下から生存、安全とくるのですが、三番目に社会で認められたいという欲求が来ます。現代社会ではもはや五番目の自己実現欲求まで到達しているのではないかとする説もありますが、案外まだ三番目の社会での自己存在感の段階にいるのではないかという気がします。そしてスターバックスはこの認められたい欲望を刺激するビジネスを展開しているともいえるのです。

スターバックスが最終的に目指すのはマニュアルサービスではなく、全てのお客様にすべて違うカスタムサービスができることではないかという気がします。それぐらいこの会社はコーヒーから大きく派生したサービスの在り方を変えようとしているように思えます。

マニュアル文化からそこまで変化する兆しがあるのは人間が人間としての接点に飢えているから、とも言えるのです。日本でコンサートが流行るのもシェアハウスが流行るのもお祭りやイベントが好きなのもそこに行けば同じ目的や興味をもった人がいるからなのです。私が日本で酒を飲むなら割烹着を着たママが煮物を作っているようなカウンター席が好きなのは人間的接点があるからなのです。カナダでも食事等はカウンター席に好んで座るのはそこにはライブな空気があるからでしょう。

チェーンの居酒屋に行けば注文は呼び出しボタンどころかテーブル備え付けの画面で注文を完了させるのが当たり前です。しかし、私はそんな店はちっともたのしくありません。以前、東京のあるフランス料理店で待ち合わせしたところ相手が1時間遅れると店に連絡が入りました。店の人は1人の私に気を使い、いろいろ声をかけ、待っている間を飽きさせませんでした。これが本当のサービスではないでしょうか?

マニュアルにも長短があります。そして、経営は進化しています。私にはアメリカ発のマニュアル文化が変わりつつある空気を感じています。日本がおもてなしの国としてのスローガンを持つならば世界に率先してサービスの在り方を見直すべきではないかと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本 見られる日本人  3月25日付より