行き詰まる韓国二面外交

岡本 裕明

戦後70年、日韓国交回復50年という節目にあたり、日中韓の関係改善とその背後に見える覇権争いが熾烈になってきています。人的交流では先日の三カ国外相会議以降も賢人者会議や政治家団の交流などが進んでいます。一方で、中国は9月の抗日戦勝記念式典に安倍首相を「条件付き」で招待する意向を示すなど神経質な動きの展開も続きます。


その中で韓国はアメリカが推進する戦域高高度防衛ミサイル(THAAD)の装備計画と中国が推進するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加の選択を迫られています。選択という言い回しは語弊があるかもしれませんが、難しいかじ取りであることには違いありません。

THAADミサイルの装備があると中国側のミサイルがまる見えになるとされ、中国軍には大きな影響が発生し、中国から猛反対をされています。一方のAIIBについては日米が中心となるアジア開発銀行とのグループ上の関係問題になり、アメリカは韓国にくぎを刺しているものと思われます。

これらを称して踏み絵というわけですが、現状、韓国のAIIBの参加の可能性は薄いとされています。(もっとも、英国の様にサプライズ決定がありますので最後の最後まで分かりませんが。)

朝鮮半島は歴史的に二つの大きな力の中でもがいてきたとも言えます。その中で今日は甲申事変を例にとってみたいと思います。

これは1884年に朝鮮半島において清朝について行くとする半島の旧守派とこのままではダメで改革をしなくてはいけないと考える開化派がぶつかった事件であります。

1875年の江華島事件以降、半島では中華思想に基づく冊封国を目論む旧守派とと開化派の対立が鮮明になったうえに朝鮮王朝内部の分裂という状況に陥りました。その中、開化派が日本の支援を受けながらクーデターを実行、一時は成功したかに見えました。ところが清朝は当時フランスと戦争をしたのですが、清朝が敗北したため、せめて半島だけは支配し続けようと清朝勢力を半島に差し向けました。そのため、支援していた日本側と比べ10倍の兵力を投入した清朝がそのクーデターを抑え、開化派の3日天国となった事件であります。

甲申事変は19世紀の事件でありますが、半島には二つの考えが交錯し、その対立と選択が歴史を作っていったともいえます。戦後を考えると朝鮮戦争、漢江の奇跡は日米の圧倒的な支援があったからこそ達成したわけで今日の韓国の礎でもあるのです。ところが、韓国において思想的には儒教の影響は強く、中国に引っ張られやすいこともあり朴大統領は中国寄りの姿勢を見せ続けてきました。

確かに中韓関係をみれば北朝鮮外交との天秤も含め、朴大統領の外交は成功したかに見えます。また、中国の高い成長性と成熟国アメリカを比べれば地政学的要素も含め、経済関係において中国に傾注したくなる政策も分からなくもありません。ですが、中国の文化は相手の技術を吸収し、自分のものとした途端、相手を切り捨て、自分の成長に注力する傾向が強いのも事実です。自動車や造船、スマホなど今日の韓国の状況はある程度予見できたはずです。韓国国内経済は悪化の一途を辿っており、中間層から若者の就職問題、更には高齢者の生活に至るまで大きな問題を抱えています。

英のフィナンシャルタイムズにはそれはむしろ韓国にとって両大国のおいしいところ取りができる立場ともいえなくもないという趣旨の論説がありますが、それは白人社会の眼とアジアの根本思想の相違をどこまで勘案しているか私にはすっきりしません。

そんな中、米韓外交上、アメリカは日本に一定の譲歩を求める外交的施策のアイディアがないとは言い切れません。日本はアメリカにとって対韓国外交の橋頭堡とも取れなくはなく、アメリカと日本が韓国政策に対して一定の配慮をしてもおかしくありません。日米外交の中でギブアンドテイクはある程度存在するはずで完全なガチンコの外交はあまりないでしょう。TPPの日米合意を前提とする外交の影響は注視する価値があるかと思います。

少なくとも歴史の中では日中韓の三カ国が正三角形の力関係であったことはありません。そして現在の経済、政治、社会的影響度もそうではない中で間に挟まれた韓国のかじ取りは想像以上に困難なのかもしれません。そして韓国国内における政府と国民の温度差は広がるばかりのように思えます。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本 見られる日本人 3月26日付より