貧しい人は病気になりやすく、お金持ちは貧しい人より長生きする……、このように一般的には信じられている。もちろん、それにはさまざまな理由が考えられる。金持ちは健康を留意する余裕があるうえに、日常生活や食事にも配慮できる。病気の場合、無理せずに最高の医療を受けることができる。一方、貧しい人々は一般的に厳しい肉体労働を強いられ、病気になっても容易には休めないうえ、健康にいい食事を取る経済的余裕がない。
▲教育水準別の平均寿命(出所・オーストリア統計局、オーストリア日刊紙プレッセから)
ところで、「金」の有無が寿命の決定的な要因ではないという調査結果がこのほど明らかになった。ケンブリッジ大、ストックホルム大、ニューヨーク大の3大学がスウェ―デンで宝くじで大金を獲得した3人を対象に「金」と健康を追跡調査した。突然、金持ちになった人のその後の10年間をみると、仕事をする必要はなくなり、ノンビリと生活し、旅行にも出かけるが、健康分野では余り影響が見られないというのだ。換言すれば、「金」で健康を買うことはやはりできないという。ちなみに、福祉国家のスウェ―デンの場合、金持ちも乞食も同じ医療を受けることができるから、「金」の有無は医療分野では余り関係がないわけだ。
興味深い点は、教育水準の観点から高学歴者とそうではない人の間では平均寿命で違いが出てくるというのだ。オーストリア日刊紙プレッセ(3日付)は、「人は金持ちだから長生きすることはない」という見出しの記事の中で、教育水準別に大卒者から義務教育修了者までの国民を調査した結果、大卒者の平均寿命は学歴の低い国民と比較して長生きしているという統計を掲載している。
オーストリア統計局のデータをもとにプレッセ紙が報じたところによると、大卒の国民の平均寿命は男性で81・9歳、女性で85・9歳。一方、中学校卒業者の場合、男性が76・9歳、女性83・1歳だった。男性で大卒者と中卒者の間で5歳の差がある。女性の場合、その差は2・8歳だ。いずれにしても、男女とも教育水準の差で平均寿命が異なることが判明したのだ。
すなわち、「金」の有無より、「知」の有無の差が寿命の差を決定するというわけだ。貧しいが、「知」の豊かな人々にとっては朗報だが、「金」は十分だが、「知」に乏しい人々にとっては深刻な調査結果といえるだろう。
それでは、なぜ、「知」が長生きのうえで大きな要因となるのか。「知」の所有者は健康のために何が必要か、栄養は、運動はどうかなどについて知識を有する。一方、「知」の乏しい者は健康問題を余り考えないうえ、肝心の知識に欠けているから、健全な生活が難しくなる、というわけだ。
まとめる。「金」の有無が寿命の差を決めるのではなく、「知」の差が寿命の差をもたらすということだ。この結論について、異論も多数考えられる。だから、賢明な読者の皆さんにはあくまで参考程度と受け取って頂きたい。貧しくても健康に留意して生活する人々がいるし、「知」があってもそれを実践できない人々も少なくないからだ。
そのうえ、長生きも大切だが、長く生きればいいというわけではない。人生の目的が不可欠だ。その上、長生きもは後天的な「金」、「知」の差だけではなく、遺伝的な要因も関与してくるだろう。また、先述したオーストリア統計局のデータについても、オーストリアではそうかもしれないが、他の国では違った結果が出るかもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年4月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。