教科書検定から考える日本人の主張

岡本 裕明

来春から使われる全ての中学校の教科書において「尖閣、竹島は日本の領土」としっかり謳ったものとなると文部科学省が発表しました。更に慰安婦問題についても「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」記述しているものもあるそうです。結構なことです。


日本は主張をしない国と長年言われてきました。私が80年代、アメリカやイギリスで接した人たちも日本の神秘さを魅力としていましたが、神秘とはよくわからないという意味ともとれ、日本のボイスが欠落していたともいえるのでしょう。日本に於ける教育は和と協調を重んじることから自己主張を全面的に押し出すことは良くないと教えられた人も多いはずです。このあたりが外国との最大の違いであり、「おとなしいよい子」にしていたことが歴史問題などで日本の主張が通らなくなってきている一因となっていないでしょうか?

安倍政権になってから一部の国からは右翼化傾向などといった懸念が出ているようですが、これは失礼な話です。今まで声が出なかった政権や日本人がようやく目覚めて自分の考えを述べるようになっただけのことで右とか左といったことではありません。残念なことに、いままで声を出していなかったために「その解釈は違う」と日本人がいえば「歴史修正」という奇妙な反論があちらこちらから聞こえてきます。

歴史の解釈は圧倒的事実とその背景の解釈においては大きな違いがあります。例えば日本は戦争をしたという事実はありますが、その戦争はなぜ起きたか、という背景を語らせればいくつもの理由が挙がるはずです。つい70年前の生き証人がたくさんいる戦争の時代の話ですら複雑な背景があるのですから幕末やそれ以前の話となればどこまでが事実かすら明白に掴めません。だからこそ、歴史小説というその解釈を巡って様々な作家が色々な見地から推論を立てる余地があるともいえましょう。

今後、国際化社会、ボーダーレス社会は増々浸透していくことが容易に想像でます。それを考えれば、日本人が自己主張する癖をつけさせることは極めて重要な教育であります。次世代の日本を背負う子供や若者たちにしっかりと自分の考えを持ち、なぜそうなのか、相手が反論してきたらそれをどう論破するのか、そこを学ばせてほしいと思います。

会議でその場を制するのは「声の大きさ」と言われています。韓国などで行われている反日思想の教育は声が国民レベルに拡声しやすくなっています。しかし、その質は議論に値しないものもあります。ワシントンの桜は韓国の桜だったという記事に於いては本気なのか、遅すぎたエープリールフールの話なのかほどほどにしてほしいと感じてしまいます。

ヤフーなどの配信ニュースの場合、読まれる頻度と配信側によりそのニュースが配列されます。お気づきの方も多いと思いますが、そこには中国、韓国発のニュースがずらりと並び、最近、大いに失望しております。日本発のクオリティの高いボイスが少なく、三流週刊誌レベルのニュース配信では日本人が別のかたちで洗脳されそうで怖い気がいたします。

教科書検定で歴史問題を正面から捉えたことは評価いたします。但し、最後にあえて一点だけ課題を提示させていただくとすれば中学校の社会の授業で3学期にどこまで教科書が進んでいるか、といえばせいぜい大正時代ぐらいまででそこから先はすっ飛ばすか、やってもお座なりの教育しかされていないのではないでしょうか?

ゆとり教育も終わり、教科書が分厚くなったことで先生たちから時間がないと言い訳の声が上がるのもわかっています。ならば明治以降の近代日本史は新たなる科目として勉強させるべきです。聖徳太子や徳川家康も大事ですが、日本がなぜ、戦争し、なぜ、隣国と難しい問題を抱え、今、世界の中で日本はどういう位置づけにあるのか、これを教えなくてどうして若者が日本を語れるのでしょうか?教育の改革に大いに期待したいところです。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 4月7日付より