「年金受給者に選挙権は与えるべきではない」の合理的論拠とは?

音喜多 駿

告示日前日のバタバタですが、宣言通りオンラインサロン「敢えて政治の話をしよう」のキックオフイベントが行われました。


オンラインサロン、始めます!宇佐美典也×おときた駿の「あえて政治の話をしよう」
http://otokitashun.com/blog/daily/6976/

キックオフイベントのゲストは、言論アリーナ「アゴラ」の主であり、
ネット上では何かと知名度の高い池田信夫さん。満員御礼!

オンラインサロンで取り上げる議題は多岐に渡りますが、うさみさん&私の問題意識の根底にあるのは、以前から再三取り上げている

「シルバーデモクラシー」

です。

参考:シルバーデモクラシーの黄昏
http://otokitashun.com/blog/column/3982/

20年後・30年後の未来に責任を持たない世代が中心となって意思決定を行い、将来世代に危機的なツケを先送りしてしまうこと。

その現在進行形の民主主義の欠陥が、我が国を窮地に陥れています。

そうした時代に、それでも「政治」「デモクラシー」から逃げられない私たちは、どのように生きるべきか?対応策があるのか?

そんなことを皆さまと共に考えていくのが、このゼミ(オンラインサロン)の一つの目的でもあります。

そんな本日のイベントでは池田信夫氏より、あくまで一つの学説として

「高齢者、年金受給者には選挙権を与えるべきではない」

という意見が紹介されました。
これは高齢者が有権者の中心となっている我が国で、感情論レベルではインターネット上などで頻繁に現れる問題提起です。

現在の価値観から見れば、そうは思っても実現が不可能とも言える乱暴な理論に見えますが、これにも実は歴史的には論拠がしっかりとあるのです。

そもそも、成人であれば誰でも参政権があるという「普通選挙」の考え方は、我が国では1925年から導入された比較的新しい考え方です。

それまでは「制限選挙」、つまり一定額の税金を納めた人でなければ、選挙では投票権を持てない仕組みが採用されていました。
これは

「政治というのは、税金の使い道を決めるもの」

という思想・考え方に基づいたものでした。
政治の役割は学説的には「再配分」であり、それは財源・予算の組み方そのものですから、まずこの思想はあながち間違いとは言えません。

そこで考えられる政治家の最大の役割は、税の使い道を決定・チェックすることです。つまり、

税の使い道を決定・確認する代表者は納税者の中から、納税者たちによって選ばれるべきだ!

ということ理論が成り立つわけです。
そして、もはや税金を納めていない人たちがいるとすれば、

「自分はビタ一文出してないくせに、とやかくいう権利はない」

という結論が導き出されます。

現代の日本で言えば、大半の年金受給者は納税者ではなくなり(消費税はあるけど)、
主に税金を受け取る側の立場にあります。そのような受益者たちに意思決定権を与えてしまえば、社会がどうなるかなど推して知るべし…ということですね。

もちろん、細かいことを言えばこの理論には抜け漏れがたくさんありますけど、現代の日本が直面している状況に鑑みれば、頷ける点もあると思います。
要は昔はよくも悪くも、選ぶ側も選ばれる側も当事者意識が徹底していたんですね。

「普通選挙」の最大の欠点は、誰もがなんとなく権利を持ち、なんとなく結果を受け止め、責任感や当事者意識が欠如してしまうことに突きます。

納税をしなくなった人の参政権を停止するということは極めて非現実的な政策ではありますが、そのような理論が生まれる背景にはこうした「当事者意識」の問題があると認識することは、選挙に望む上で大切なことではないでしょうか。

若者よ、現役世代よ。
我々は現在進行形で、そしてこれからもっとも多くの税金を納める「当事者」だ。
その使い道を決定する政治家は、自らの手で選ぼう!

ということでしつこく、「選挙へは行こうね!」のメッセージを告示前の最終日に送らせていただきました。

オンラインサロンも募集が正式スタートしたら、お申し込みを何とぞ宜しくお願いいたします!

明日からの1週間、闘いの日々を走り抜けます。
それでは、また明日。

おときた駿 プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。

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