日経新聞のある記事(4月3日付)で筆者は、『米国の文化の中で育った人間からすると、(中略)どうも日本人が使う「個人主義」は、困っている人を放置してそれで良しとする「selfish(利己的)」に意味合いが近いように感じられます』と書かれています。そしてそれに続けて『本来、英語で言う「個人主義(individualism)」の意味とは、(中略)「私利」が「他利」に優先されるというワガママを容認してしまっては成り立たない概念です。(中略)誤った解釈で輸入してしまった「個人主義」という言葉は隣の席で困っている同僚を助けることができないほどに個人を組織の中から孤立させてしまったのではないでしょうか』と言われています。
率直に申し上げて之は個人主義の定義如何に拠る主張ですから、仮にそれがAという定義であればそれは世界共通でAという定義で見るべき話であり、日本と欧米とで個人主義に差異があるという主張には賛同出来かねます。個人主義というのは勿論、主体性を有しているという所に最大限の特徴が置かれるべきだと考えますが、それとselfishであるということとは異なる話だと思います。そもそもがselfishは飽く迄も自己中心的であって日本では之を利己主義というわけで、私が知る限り日本のみならず漢字文化圏にあって基本、個人主義をそうした形で不明瞭には用いないものと思います。
此の個人主義ということで更に、「ヒューマニズム」という観点から洋の東西の考え方の違いにつき以下、私なりの考えを述べておきたいと思います。先ず西洋のヒューマニズムとは、中世ルネサンス時代が代表的なように、宗教的な統制や権威からの自由を求めたもので、個人の自由を中心に考える思想です。一方で東洋のヒューマニズムは全体の中での個人を尊重し、その中で人間性というものを追求して行きます。東洋文化には「無我無私」という「無」を原理とし、また「人間は常に孤に非ずして群である」(『荀子』)といった儒教的思想が根強くあるからです。つまり「ヒューマニズム」と一言で言っても、西洋は個人主義で東洋は全体主義と言えるかもしれません。
ヒューマニズムと言うと、個人的自由を中心に考えた西洋的なイメージが未だに強いのではないでしょうか。欧米の権利思想や個人主義はその民族性に由来するもので、その良し悪しは評価すべき類でなく西洋的なものが悪いわけではありません。しかし複雑多様化する時代のヒューマニズムは、全体主義の中で「人間如何に在るべきか」を尊重する東洋的なものであるべきです。
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